2012年3月26日月曜日

お金がないと嘆くのは、無力感を別の形で表してるだけじゃなかろうか

625 名前:名無しさん 投稿日:2012/02/28(火) 18:06:59.42 ID:0+ZyjxZW

臨時収入がないかなーって思ってたら、実家から、
震災時に一銭もないと困るからということで数万振り込まれた。

しかしながらこれは俺の懐痛めてるのと同じだ。
俺は宝くじなど、自分の懐を痛めない収入が欲しかった。
とここで気がついたのだけど、お金を「全世界で循環するもの(物ではなくて、もの)」
と考えると、誰から貰おうとも、それは自分の懐を痛めてるのと同じことになるのでは
ないだろうか。

ここから変な方向に思考が行ったけどせっかくだから書く。
宝くじだって、元をたどれば自分や他人たちの金に行き着く。
その金の元をさらにたどると、俺らの労働だったりアイデアだったりする。

つまり金というものは、労働やアイデアなど、自分を含めた誰かの何かが、
たまたま硬貨や紙幣の形態をとってる。
お金がないと嘆くのは、自分にはそれらが無いと嘆くのと同じなんじゃないか。
つまりは無力感を別の形で表してるだけじゃなかろうか。


でも、たまたまと書いたとおり、自分の労働が他人からの感謝という形に
変換されることもあるし、自分のアイデアが自分を助けるという形に変換されることもある。

お金という形態に懲りすぎてると、自分の無力感や無価値感ばかり見えるが、
お金以外の形態を見渡すと、感謝されたり感謝したり、自分や他人を助けたり
できることに気がつくだろう。


無限の豊かさと言われると、お金が降って湧いてくるようなイメージがあったんだけど、
上記のこと考えたら、お金も含めた何かいろいろ含めて豊かで、なおかつそれはすでに
誰しも持っているものではと思った午後のひとときでした。


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