2012年5月19日土曜日

プロセスする時に役に立ったフォーカシングのテクニック

547 名前:名無しさん 投稿日:2012/04/09(月) 00:47:06.82 ID:0v1i3IhU

感情の処理について書くけど、エックハルト・トールや空って本を書いたmanaは
感情を見つめて通り過ぎさせればいいって言う。メタ的視点に立つわけね。
また、OSHOやロバート・シャインフェルドは感情の中に入って感じつくせって言う。
そうすることで本来の力を取り戻せると。

覚者どうしがまったく別のことを言ってるんだが、これはいったいなんなのだろう?

経験的には感情を見つめるやりかたはそのときは冷静になることができるが、
どこかに残って滞る気がするシャインフェルドの感情の渦に飛び込んで、
ピークに達したときに真実を告げるってやり方は中々よいと思う。

ただ、感情を感じつくすとしてもニコ動で有名な修羅パンツとか
キーボードクラッシャーとかはどう見ても健全には見えないなあ。
余計に変になっていってる気がする。


550 名前:名無しさん 投稿日:2012/04/09(月) 07:07:50.96 ID:2teR/JAW

>>547
たぶん言いたいことは同じなんじゃないかなぁ。表現が違っただけで。
俺がプロセスする時に役に立った本にフォーカシングのテクニックがある。
そこに良い記述があったので少し。

--------以下引用---------
あなたの内的な体験と関係を持つということは、
あなたが感情の中に入り込まないで感情の「そば」にいることです。

激しい感情を変化させる唯一の方法は、その真っ只中に飛び込んで、
一生懸命感じて、それを乗り切ることだと信じている人が多いようです。

(中略)

あなたが首の付け根までその中に浸っていたのでは、
それと関係をもつことなどできません。

あなたの感情を大きな湖だと考えてみましょう。
次のどちらか一つを選んでください。
湖にとびこむか、湖のそばで座っているか。

・・・

あなたが何かと関係を持っているときにはその全体的な雰囲気を感じることができます。
その真ん中に入り込んでいる時はそれが分かりにくくなります。

(中略)

「スープの香りをかぎたいなら、頭をスープの中につっこまないほうがいい。」

---------以上「やさしいフォーカシング」P36より

この本プロセスの詳細記述版みたいで結構役にたったよ。
ステマじゃないからね!!www


551 名前:名無しさん[] 投稿日:2012/04/09(月) 08:01:58.97 ID:C5nF7rLs

「感情」には重さがあると聞いたことがある。
水と泥を入れたコップをガーッとかき混ぜたり振動を与えると濁るけど、
しばらくすると純粋な上澄みと泥に分離する。

人は濁った状態を自分と思い込みやすいが、上澄みこそホンモノ。
プロセスは、上澄みの状態に戻るためのろ過みたいだと思う。


そこら辺をはっきり理解できれば、泥だらけになろうが平気になるのだろうか。


552 名前:名無しさん 投稿日:2012/04/09(月) 08:42:24.51 ID:0v1i3IhU

言いたいことは同じなんじゃないかっていうのは他でも聞いたことあるんだけど、
イマイチ俺にはよくわかんないww
例えばそのフォーカシングの

「激しい感情を変化させる唯一の方法は、その真っ只中に飛び込んで、
一生懸命感じて、それを乗り切ることだと信じている人が多いようです。」

ここんとこはマネゲの

「不快なエネルギーに飛び込んで全身を浸すのです」

まさにこれを言ってると思うんだよね。
だから真逆じゃないかなと。

でもそのフォーカシングの本自体は良い本だと思う。


554 名前:名無しさん 投稿日:2012/04/09(月) 09:24:20.60 ID:2teR/JAW

>>552
今気付いたけど、たぶん一段階上の抽象度に気付けるかどうかの違いじゃないかな。
(とまべち流に言ってみましたw)

たとえば、目茶苦茶ムカツク状況。

1)ムカツク、ムカツク、ムカツク~!!
とムカムカを感じ取ろうとプロセス実行するけど全然消えないムカツク一方。
なんだよ消えね~じゃね~か!でやめる。

2)そこから一段階抽象度をあげる。
もしその人に「腹を立てることに罪悪感がある」という観念をもっていたら?
ムカツクという一方で、ムカツク自分に腹がたつという怒りの感情もありうる。
(腹を立ててはいけないという観念を持ってる人ね)

俺もずっと2)に気付かずに1)で糞詰まり状態たんだけど、
1)も2)も抽象度が違うだけで「感じきる方法」と「そばで感じる方法」も
言ってる事同じなんじゃないかなと思った。


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