2012年6月16日土曜日

般若心経は、ビックリするほどマネゲ論。

167 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 09:48:15.27 ID:abkK51Y5

哲学という観点から般若心経を始めとする仏道を勉強しているんだけど、
般若心経=量子力学=マネゲ論は、ここでも言われている通り完全なイコールだ。

仏教では、実はこの世界には「楽」(快楽)は存在していなくて
「苦」が減ったときに、ふと身体が軽くなり、それが「楽」だと錯覚する、とある。

つまり、快楽を求めると、苦も同時に引き寄せてしまい
求める人は、常に苦に悩まされる結果となる。


苦に対してプロセスを行い、楽を求めるわけではないマネゲ論は
そういった神髄を付いているなあ、と思うこの頃。


177 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 15:29:16.53 ID:jqeaKHSi

>>167
腑に落ちた。目からうろこが落ちた。言葉じゃ表現できないが、
自分の内で貯め込んできたいろんな理論がつながり、
同時に、未解決であったモヤモヤ感がスッキリした感じ。

数百年、数千年も続いている宗教には、やはり理由があるんだね。


190 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 18:29:57.05 ID:abkK51Y5

>>177
レス見落としてた。ありがとう。
般若心経はビックリするほど、マネゲ論だよw

マネゲ論や量子力学を知らないで、般若心経を解読すると
「なーんもするな、解脱こそすべて」みたいなとらえ方になるんだけど
(つまり多くの人が解釈を間違えている)

マネゲ本を読んでから、般若心経の解説と照らし合わせると凄いよ。
全部同じことを言ってる。


195 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 19:45:05.16 ID:lElMI3Hj

>>190
仏教を学んでるんだね。
1万円札をやぶれるかを知ってるみたいなので少し。P276以降の空観の話はマネゲの話だよね。
あと、止観瞑想の下りはマネゲのプロセスに相当する所なんだけど、
仏教の最初期の経典「四念処経」を見てみると面白いよ。

ヴィパッサナー瞑想の元になった経典なんだけど、まさにお釈迦様流プロセス。
プロセスの進行度合に合わせて、喜(ピーティー)が発生し、
更に進むと楽(スカ)が発生するとつぶさに記述されてるよ。


この経典の詳しい解釈はティクナットハン禅師か、ラリーローゼンバーグ師の本がわかりやすいよ。
ちょっとスレチになったかもしれんが、皆許してちょw


200 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 21:23:30.04 ID:6kE/RtqL

>>195
前に喜(ピーティー)を体験した人の体験記がでてきたことあったけどその先があったのか。
楽(スカ)ってどんな状態なの?


203 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 21:59:03.85 ID:lElMI3Hj

>>200
うろ覚えだったのでちょっと文献を漁ってきたw
---
「喜」には段階があり、瞬間的に訪れる小さなものや、繰り返し打ち寄せる波のような喜、
体が空中に飛び上がるような欣喜雀躍する喜、全身が喜びで満ち溢れ浸されるような喜など
さまざまです。

「喜」は比較的簡単に体験できるものですが、快感ホルモンが分泌される状態なので、
多くの人がサティを入れて見送るのを嫌がって、耽溺しようとする傾向があります。
そのような欲があだとなって、自滅してしまうのが定番です。
快も不快も等価に観る原点を忘れずに、サティを入れなければなりません。

やるべきことを淡々と行っていくと、「喜」よりもレベルの高い「楽」が現れてきます。
抑圧されたエクスタシーであり、沈沈たる静かさの伴った深い落ち着いた喜びです。
ここまで来ると、この世的な官能の喜びなどは、下品で猥雑なものに思えてくるでしょう。

------「ブッダの瞑想法」P110
長文メンゴ


204 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/08(火) 22:14:21.21 ID:6kE/RtqL

>>203
情報THX
サティーってググッてもよくわからんかったが「喜」とかそういった奇跡体験は
執着しやすいから味あわずさっさと中断するぐらいでいいってことかな。
前も「喜」体験者にそれにこだわるとうまくいかなくなるってアドバイス入っていたしね。

俺も今後のために知識は頭の片隅にしまっておくことにするか。


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