2012年9月26日水曜日

本来の自分を取り返したら、豊かさだけが欠けた状態でいることは不可能

317 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/03(火) 20:51:39.99 ID:4w4cq97S

今気付いたけど、般若心経に観自在菩薩って出てくるね。
自在について思いを馳せていたら、自由自在の語源て何だろうと思った。
自由であり自ら在る存在?それは本来の自分なのか?


319 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/03(火) 21:45:36.60 ID:FnW5UAYv

自在は、エックハルトが言うように「いま、この瞬間に在る」ということ。
つまり、未来も過去も存在していない。
ただ「いま」だけが在る。

悩みや不安は、ありもしない未来などの時間に付随するものであり、
時間を超越すればそれらネガティブ要素も一切存在できなくなる。
思考を完全に捨てるには、時間の概念を捨て去ること、
と彼の著書にはある。

「いま、この瞬間」に入ることを悟りを開くというが、
コツとしては、自分はマンホールになったと思えばいい。
マンホールの視界で世界を観れば、自在の意味がわかる。

ちなみに、大金持ちであろうがなかろうが
「いま」という目の前の無限の世界の繰り返しがあるだけなので、
要は、百貨店の綺麗なトイレの溝のフタか、路上のマンホールかだけの違いなのである。


320 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/03(火) 21:48:21.56 ID:FnW5UAYv

あ、マンホールに時間を認識する概念はないから、って意味だぞ。

太陽が昇り、沈む。
人間社会の生活では、時間として置き換えられているが、
マンホールからしてみれば、単なる出来事なのだ。決して時間の経過などではない。
自らは動くことはできず、ただ、今という瞬間を感じながら存在しているだけ。


324 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/03(火) 22:16:04.64 ID:QXLfMBPy

>>319
私は私は在るであって、よって、肉体(およびマインド)ではない。
(だから、肉体が滅んでも私は在る=死は存在しない)とわかればよい。

私は肉体だ。
私は肉体を守らなければならない。(=死は存在する)
あんなことやこんなことがおきないか不安だ。
という流れ。

不安心配は、肉体(とマインド)を守るためのもの。

私は在る に気づくと、世界とは「私」と無関係な舞台だと感じる。
世界は「私」とは無関係な舞台だ≒世界はホログラムだ というところだろう。


325 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/03(火) 22:19:37.77 ID:vDMOSok/

むしろこれはマネゲの核心なのだと思う。
「自分が何者か」の答えがでなければマネゲからの脱出は不可能とあるが
「なぜここにいるのか」「何のために生きているのか」も含め、結局この本は
「自分が誰なのか」「どんな存在なのか」を問う本なのだと思う。


329 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/03(火) 22:47:54.30 ID:QXLfMBPy

>>325
それらの質問は「私は在る」という感覚とともに考えると、答えが出てくるんだろう。
知識や理論を組み立てても答えはでてこないだろうな~。

セスの個人的現実の本質の終わり部分にチャネラーが経験している
世界と私との同一性・瞬時の相関関係の実感が書いてあるのだが、
あの境地かも知れんなぁと。


335 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/04(水) 01:31:54.48 ID:5YQd2R+e

腑に落ちた。
マネーゲームの脱出ポイントを超えること=本来の自分である
無限の力・無限の叡智・無限の喜びに立ち還ることだ。

その本来の自分を取り返したら、もはや豊かさだけが欠けた状態でいることは不可能だ。
否応なしに豊かさを伴わざるをえない。悟りなしの心の平安がありえないのと同じ。


悟りと平安と豊かさは完全に同一のもので、どれか1つだけが欠けた状態で
いるということは「黒い白」を存在させようとするのと同じなのだ。


336 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/04(水) 01:34:15.78 ID:5YQd2R+e

そうか、ずっとこうやって欺いてきたのだな。素晴らしい!


337 名前:名無しさん 投稿日:2012/07/04(水) 01:50:11.04 ID:57FX5giz
始めから全部あったんだよね。


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