2013年1月29日火曜日

無意識にやっていることをコントロールできるようになる 「厄介事のProcess」

223 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/21(金) 23:56:18.30 ID:oT0kswfv

厄介事のProcess

1) 何か厄介事を思い浮かべる。
2) その厄介事について、嘘をつく。

(1)を1回やったら、気分が少しでもマシになるまで、(2)を何回も繰り返す。
笑えたらそれでプロセスの最終現象だが、1回のセッションでそこまでやる必要はない。

--

厄介事について、人は無意識に嘘をつき、厄介事をさらに厄介にする傾向がある。
このProcessの狙いは、無意識にやっていることを意識的に行い、
それをコントロールできるようになること。


224 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/22(土) 01:46:57.30 ID:il29aJfO

>>223
「厄介事について、嘘をつく」
この意味がよくわからないのですが、出来れば具体例を


226 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/22(土) 11:35:33.53 ID:lkqdR5DX

>>223
最近そういうののせてくれてるけど、それ何なわけ?


229 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/22(土) 14:25:25.56 ID:ZsZIXxAs

>>224
例えば「競馬で負けてお金が無い」という厄介事に対して嘘をつくとする。
「お金が無い、なぜなら彼女にプレゼントを用意したから」
「お金が無い、なぜなら借金を返済したから」等等。
嘘に関してはポジティブな嘘でもネガティブな嘘でも良い。

>>226
基本的に投稿しているのは
ケース(状態)を改善して能力を回復させる系のもの。
ケースが良くなると、問題に直面する能力も回復する。

マネゲの『プロセス』は基本一人で行うので、
問題に直面する能力があるとやり易くなる。

特に必須というものでもなく、参考として載せてる。


230 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/22(土) 14:35:19.67 ID:lkqdR5DX

>>229
さんきゅ
誰かが考えたメソッドだとか、海外で流行ってるのもなのかとか気になったので
君のオリジナルなのかな。
なかなか面白いと思って参考にさせてもらってる。


234 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/23(日) 00:37:08.57 ID:ARqlCLnp

>>230
ネタ元
http://freezoneearth.org/pilot/self/index.htm


235 名前:224 投稿日:2012/12/23(日) 01:32:07.24 ID:F/CwqjdV

>>229
成るほどよくわかりました。
これ続けると無意識にしてしまってることに気付きやすくなるって感じですかね。


237 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/23(日) 10:44:05.54 ID:ARqlCLnp

>>235
理屈としては、不随意のものを意識的に行うことで、不随意を随意に変換する試み。

人は厄介事を抱えると、それに直面できず、それについて自分自身や他者に対して嘘をつくことがある。
このような嘘は厄介事をさらにしつこいものにしてしまう。
厄介事が長く存在すると、人はそれについて嘘をつき続けていることに無自覚になってしまう。
厄介事を何とかするための第1歩は、嘘をつき続けていることを再自覚することだ。
つまり、自覚して嘘をついてみればいい、ということ。


ただ、これは厄介事に対するアプローチなので、他の無意識にしていることに関しては弱い部分がある。
「無意識にしてしまってることに気付く」という目的なら
しっかり体系化されているヴィパッサナー瞑想がオススメ。


238 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/23(日) 16:03:41.78 ID:pS5KRyDq

>>237
>理屈としては、不随意のものを意識的に行うことで『不随意を随意に変換する試み』。
厄介事を何とかするための第1歩は『嘘をつき続けている』ことを『再自覚』することだ。
つまり『自覚して嘘をついてみればいい』ということ。

素晴らしい見解だと思われます。
我々の行動は運命的に既に決まってるようです。

<自動行動に対してそれに理由を後付けし、
あたかも自分の意思で動いているのだと思い込んでいるようです>

だから、こういうことが言えるでしょうか。
我々はこの世の舞台で演技をしているのかと。
監督(時空)の言う成りに、我々は自分の人生を演じさせられているのかも。


なので、自動行動に勝手な思い込みをするのは、自分に対して自分が嘘をついてる様なものかなと。
自然に生じて来る事象に対しても、勝手に苦しいとか嫌だとか思い込んでいる
(自分に演技している)訳でしょうかね。

つまり、この世で自分に演技させられている状態が、
自分に『嘘をつき続けている』と言うことに成る訳でしょうか。
ではこの事を自覚した上で、自らを演技すれば良いのかもと。

演技(無意識的)をさせられる事が、自分に嘘の感情をついている訳なら、
その嘘としての感情(苦しいとか嫌だとか)を、自覚(受身をやめて能動的にかな)
をもって演技すれば良いのかと。

それは正に『自覚して嘘をついてみればいい』という事と同じことかも。
違うとすれば、苦しさや嫌いと言う状態に、嘘を付かないことかなと。
でも『不随意を随意に変換する試み』は同じだと思われます。

そのような訳で、苦しみや嫌悪は自分が自分への無自覚演技だと認識(『再自覚』)
される事により、そこからの囚われ(思い込み)が開放されるのだと思います。
この様に同じく貴方の方法は、事象(運命)から来る人生の苦しみや嫌悪からの開放に、
大変に有効だと思う次第なのです(爆汗)
長々と意味不明ゴメン<(_ _)>


240 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/23(日) 21:56:01.35 ID:ARqlCLnp

>>238
thx.

『厄介事のProcess』を行う際の注意点として、
範囲を広げるほど、最終現象には時間がかかるようになり、現実的ではなくなる。
例えば『自分自身について嘘をつく』というメタプロセスにおいて、
扱う厄介事の範囲が大きい場合、ある程度繰り返して、
変化が見られなかった状態になったところまでにしておいたほうがいい。


241 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/23(日) 22:17:11.52 ID:9yTH38Ur

ちょっとやってみたけどけっこういい感じ

「嫌いなヤツを手伝わなきゃいけない」←厄介事

「なぜならヤツは来月外国に引っ越してもう会えなくなるから」←嘘

とかやってみた。
手伝わないといけない事を考えた時のイヤーな感じが軽減されてナイスな感じ

>>240
範囲を広げるっていうのが具体的にどういうことかよくわからん。
「なぜなら来月地球が滅びるから」とかそういうの?
自分が想像できない事は現実的じゃないってことかな


242 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/23(日) 22:36:10.22 ID:ARqlCLnp

>>241
「範囲を広げる」というのは嘘ではなく厄介事の範囲を広げることで、
問題の大きさや抽象度を上げるということ(例えば「自分の人生」等)。


2013年1月25日金曜日

全ては起こるべく起こってきている。失敗というのは存在しない。

221 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/21(金) 22:38:20.72 ID:Y6O7u3fZ

マネーゲームから脱出したかと思ったらまた捕まった。
お金が要る問題が発生しちゃった……。

辛い。


334 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/27(木) 21:07:55.25 ID:6Dy1F3G2

>>221
もし言ってる事が本当なら、この人は良心的だと思う。
普通、失敗談はあまり語りたがら無いと思うから。

この人が何故こうなったのかはハッキリしてるけど、
それを言ってしまうとまた横槍が入るので・・・

人間は何かに縋ってないと、未来が判からないために、不安に怯えて生き辛くなるのかもしれない。
だからこそ未来に夢を求め、そうやって未来に生きてるのかも。
マネゲはそのための、良き拠り所となってるのかも。


377 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/28(金) 09:20:55.73 ID:z4hmA8dU

>>334
失敗したら辛いのは当たり前のことだけど、だからと言って失敗したという結果を受けて
自分の態度が崩れてしまうなら、それはホログラムに一喜一憂してるって事であって
そんなの脱出とは言わない。

脱出したって失敗や不快なことはこの先いつでも起こりうるよ。
それでも、自分が好きなこと、自分がどうありたいかに心を注ぎつづけるべきだ。


393 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/29(土) 11:42:36.85 ID:EkZAEaeY

>>377
> 脱出したって失敗や不快なことはこの先いつでも起こりうるよ。

自分はまだマネゲを完全には脱出はしてないけど。
不快なことは確実に減ってきている。
厳密に言うと、以前なら不快に感じてたであろう出来事を不快に感じなくなってきている。

感情があっという間に過ぎ去る感じ。最近はネガティブな感情もどんな感情もすぐに
過ぎ去ってしまうようになっている。

失敗というのもあまり意識しなくなった。
物事は収まるべきところに収まっていくというか。
全ては起こるべく起こってきていると感じるし。

だから、失敗というのも存在しない(思考が失敗と勝手に決めつけているだけ)
「自分の感情は外の世界の出来事とは関係ない(幸せは外の世界に左右されない。
幸せは自分次第)」という言葉を精神世界の本か何かで読んだことがあったけど、
その通りだなと思うようになってきたよ。

だから「脱出したって失敗(に見えるようなこと)や不快なことはこの先いつでも起こりうる 」
けど、完全に脱出するとそれに影響を全く受けないようになっていくのかなと自分は思っている。

>それでも、自分が好きなこと、自分がどうありたいかに心を注ぎつづけるべきだ。

これはそうだと思う。
だけど、一度不快な気持ちが発生したら、認めて手放すというふうにする方がいいと思う。
ネガティブを最初からなかったように抑圧するのはよくない。


401 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/29(土) 12:44:45.40 ID:1rZRVGBr

>>393
セドナメソッドみたいだね。
大体の感情は認めて放っておけば通り過ぎちゃうから無問題だね。

どんな感情も『贈り物』だから、味わい愛でると、逆に自分を助けてくれる時もあって驚くけど。


2013年1月23日水曜日

あるがままに対する抵抗を(想像で)中和する 「無駄と所有のProcess」

131 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/18(火) 20:05:42.34 ID:NYp1oO/+

ナウでヤングな諸君は幸福とか悟りとか必要以上にたいそうに考えすぎなんじゃないの?
幸福は今この瞬間を味わえば内側から幸福感が溢れ出すし、
悟りなんてエゴの価値判断を全て捨てるだけだろ

そんなどうでもいいものより自分と周りの人間、
物事に実際的な愛情を注ぐことのほうが大事だよ


137 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/19(水) 00:50:01.35 ID:pCohAnqp

無駄と所有のProcess

1) 自分の不足している物を思い浮かべる。特質や能力ではなく、あくまで物。

2) その物を無駄にする方法を考える。これを何回も繰り返し、気分が少しでも
マシになれば、その物についてはそこで終わり。


--

奇妙なことに、人は無駄にできない物を所有すると、いろいろと困難を抱え、
やがてその困難ゆえにその無駄にできない物を所有することをためらうようになる。
このProcessの狙いは、無駄にする能力を回復させることによって、
所有する能力を多少改善することだ。


扱うのはあくまで物なので、物以外の要素が含まれると効率が落ちる。
あつかうものを工夫する必要がある。

ex.)
・「車」→「車」のままで大丈夫。

・「お金」→ そのままでもたいていうまく行くが、経済学をかじった人なら「紙幣」や
「通貨」の方がいいかもしれない。

・「美貌」→「肉体」あたりでどうか?

・「才能」→ その「才能」で扱う物に変換すべし。例えば「ピアノ」とか「絵筆」。

・「恋人」→「男」や「女」にすべし。

・「友人」→「男」や「女」にすべし。

・「名声」→ 難しいが「テレビカメラ」でやってみると何らかの効果があるかも。

・「念力」→「物質」かな?ただし、これで真の最終現象に到達するのはとても難しい。
まず不可能。到達できたら神と呼んでも差しつかえない存在になれるかもしれない。

>>131
その通りだと思うし、悟りと幸福は結び付ける必要はないね。
(『Everyday Enlightenment』という本に載っているイギリス人の覚者キャサリン・ノイスは
「悟った後も感覚はいまでも物事を分離したものとしてとらえている、
変わったのはただ探求が終わったということだけ」と述べている)

悟りを求めながら、自分のゲームをより良くプレイするのは十分アリだと思う。
当たり前だが、俺たちはある面において段階が高いこともあり、別の面ではとても低かったりする。

自分の周囲の社会を動かしていく力という面だと、
銀座の高級クラブのホステスたちは俺よりずっと段階が高い。
(ウィルバーも、高度な段階まで修業を積んだ人ほど、
世間において無力な傾向があることを指摘していた)

ラフでタフでハードな現実を根性や閃きで何とかしていくことで初めてわかることもある。


142 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/19(水) 09:11:30.60 ID:39eKLmmO

>>141
それは物以外の要素を物にしてる説明なのでは


143 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/19(水) 10:02:10.70 ID:eJBmOgsj

>物以外の要素を物にしてる

ズバリそうだと思うが?
無駄に出来ない「物以外の要素」とは結局、物に付随するイメージだ。
だからその「物以外の要素」をとっぱらって対象をただの物として見ること。


144 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/19(水) 10:12:09.49 ID:39eKLmmO

>>143
いや、無駄にするってのは重要視しないで価値がないように感じるって意味で言ったのかと思って

例えばお金を無駄遣いするとか
車を誰かにやってしまうとかそういう意味なのかなと


154 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/19(水) 17:45:11.24 ID:pCohAnqp

>>144
その通り。>>137の「無駄」は浪費と捉えても問題無い。
そのアイテムを認識している意識は、それら(不足)のありのままに対し<抵抗>を持っている。
不足している物に際して、それが無い状態に抵抗しているからこそ、欲求が生じるわけだ。

>>137は、あるがままに対する<抵抗>を(想像で)中和する試み。
不足しているものを「浪費すること」を考えることは、
当然それが「有り余っている」という本人の現実認識とは
逆の状態を想像しながら手順を行うことになるだろう。

<抵抗>は価値判断から生み出される二次的な創造だから、
浪費も、抵抗されているその対象に対する価値判断を手放す試みとも言える。
(中立的に見るようにしたほうが良いと思う)

>>137にしてもマネゲのプロセスにしても、要の一つは
「何の歪曲も、あるいは嘘もなく、物事をあるがままに正確に見ること」だと思う。
それが起きればその瞬間にそれは消失し、その存在をやめる。


2013年1月19日土曜日

視点の変更に関するプロセスの応用 (慣れた人向け)

103 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/15(土) 19:37:56.48 ID:Dy00ZITq

マネゲのスレなので、視点に関してプロセスを応用したものを考えてみた。

【視点の変更に関するマネゲ『プロセス』の応用(慣れた人向け)】

ステップ1(その中に飛び込む)→
ステップ2(対象[不快なエネルギー等]を残さず感じる)の過程で、
自分がそれそのものになっているかのような体感が得られるようになる。
通常、この状態は価値判断を含まない認識なので、意識的に対象を扱いやすくなる。

通常はここまでで、次のステップへと進むのだが、
これをさらに推し進めて、観察されている対象に投げ入れた視点に重点を移し、
観察している側の自分の視点を消してみる。


すると、不思議な意識状態に入ることになる。
世界の中で見ている自分という意識がほとんど希薄になり、
観察だけが存在しているような、それでいて
見られているものはすべて私であるというような状態になる。

この手順は特別に何らかの成果を求めるものではないけれども、
違った枠組みで物事を捉えること(NLPでいうリフレーミング)がやり易くなるかもしれない。


104 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/15(土) 20:24:41.12 ID:DZobBFmd

>>103
プロセスと言うんですか、素晴らしいです。
禅でいう瞑想の様なものですね。
小坊主がずっと牛を観想してたら、角が襖に当たって部屋から出れなくなったとか(苦笑)

自分はこの時点で「私」が消えて自他の境が無くなりワンネスの体験があるのかと、
以前は勝手にそう思ってたんですが、どうも違ってたようです。

もし投げ入れる対象が、前レスで自分が述べた様な、全体性というか空のようなもので、
そこから外側(自分も含めて)を見ていれば、やがて目覚めが訪れる、と言うようなことを
マハルシだったかが言ってますよ、興味深いです。

問題は、その「空のようなもの」をどの様に掴むかですが、
それは各々の思い込みイメージで良いのだと勝手に思ってる次第です。
初めから「空」が解かっていれば、こんな事をする必要も無い分けですから。
やがてその様な現実が引き寄せられる、と言う事に成るんでしょうかね。
とにかく、素晴らしいご意見に感謝です ( ..)φメモメモ


111 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/16(日) 10:49:45.66 ID:eX3sjbVT

>>102
自分がどうしても不快で仕方が無い人物の視点に立って、
そいつはどうしてそういう振る舞いをするのか
そいつの気分になって考えてみるっていうのをやったことがある。
自分が何を怖がっていたか、盲点だったことがはっきり解って超面白かった。

なので「その不快な出来事を作った存在の視点」から
なぜそんな出来事を作ったのかってのを考えてみたが、
いかんせん対象がでかすぎてこれはピンと来なかったわw


114 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/16(日) 11:53:58.93 ID:dsI6nQKf

>>111
ピンと来なかったと言う事は、人間の思考(自我)の及ぶ範囲ではないと言う事になり、
我々には意味(理由)の無い事として、ただ起きてると言う事に成るんでしょうかね。
既に語り尽くされている様に、理由は我々が(自我)が勝手に付けていると。
何んか、この意味が解かったような気にも成ります(笑)

話題から逸れてしまいました(爆)


2013年1月15日火曜日

感情と環境に交互に注意を向け替え、不快な感情の解放を図る 「UCP」

26 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/08(土) 00:14:09.41 ID:I7TjbdJO

俺たち人間の基本的な問題は、1つの視点が肉体にあまりに固着していることだ。
この状態になると、人生というゲームはあまりに深刻になってしまう。
この本の「プロセス」っていうのは、そういった"視点"も扱っているように思うが、
他にも視点を扱う手法として、Universal Clearing Process (UCP)というものが存在する。


・UCP
1) 自分がいたことがあるところを思い浮かべる。

2) (1)で思い浮かんだところと今いるところに交互に注意を向け、それを3回繰り返しても
精神的な変化が現れなくなるまで続ける。

3) 自分がいることになるかも知れないと少しでも思えるようなところを思い浮かべる。

4) (3)で思い浮かんだところと今いるところに交互に注意を向け、それを3回繰り返しても
精神的な変化が現れなくなるまで続ける。



という手順を繰り返し、気分が良くなったり、何か気がつくことがあったら、その日はそれで終了。
この手順は想像力を駆使することが重要で、現実的な答えも非現実的な答えも同じように
歓迎される。この「ところ」は現実世界における場所であるかどうかを問わない。
例えば「私の心の中」でも「ところ」の範疇に含まれる。

UCPは「かつていたことのある場所」や「いることになるかもしれないと思える場所」に
固定している注意を、現時点の環境と比較すること(意識的に交互に注意を転換すること、
および識別すること)で、その注意を解放している。

例えば、不快な感情に囚われているという現象は、
それから注意を解放できないということと同義だ。
ならばUCPのやり方で、その感情と環境とに交互に注意を向け替えていくことで
注意は解放される。それはすなわち、不快な感情からの解放につながる。


「自分」はもともと空間上の位置を持たない。
しかし、ゲームに参加するには、位置が必要だ。

だから、プロセスしかりUCPしかり、視点を扱う手法はゲームの最初の要素を扱う手法で、
あらゆる問題を処理できる可能性を秘めている。


27 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/08(土) 05:21:29.91 ID:HKcHoLoO

>>26
要は妄想して気晴らしするってこと?


28 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/08(土) 12:08:59.56 ID:PmAehXjg

>>26
よさげだね。それってバックグラウンドはどういうの?
例えばNLPならバンドラーとグリンダーがどうたらこうたらみたいな


29 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/08(土) 13:00:52.68 ID:scPKcygE

>>26
なるほど・・・プロセスばかりやっているうちに
何物にも心が動じなくなってしまって、
何がやりたいのかよくわからなくなってきたから
その手法をためしてみるのはおもしろそう。


30 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/08(土) 15:55:49.07 ID:I7TjbdJO

>>27
初めはそういう認識でも良いんじゃないかな。
基本的にUCPの効果は緩やかなものだけれど、
大抵の場合、気分が良くなって何かを発見する終現象が起こる。

>>28
恐縮だが、UCP自体の歴史は知らない。
ただ、40年間続けている人が居ることから、それ以前に行われていたことは確か。
通常、UCPは他のプロセス(マネゲの手法ではなく)と組み合わせて、
自分の状態を向上させていく事(クリアリング)を目的としている。

>>29
UCPの利点は個人の状態に左右されない事と、
他の手法と組み合わせてもデメリットがない事だから、
マネゲの『プロセス」と併用するのは良い考えかもしれない。


2013年1月8日火曜日

ゲームから抜け出るには、 何も求めずに単に「いまここ」に在ること

8 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/05(水) 23:08:53.83 ID:zv7tk1ep

ごめん、何んか全て思考の成せる業のような気がして。
何をするにも、お釈迦様の手ではなく、エゴの手の中でしょうか。

根底に、求めようとする意図が有る限り、何をするにもエゴの世界に居るような気が。
脱出ゲームも又、エゴの操る自己ゲームだったりして。

だから、この自己ゲームから抜け出るには、
何も求めずに単に「いまここ」に在ることかもと。

精神的な時間空間の無い「いまここ」に在ろうとするなら、一般論的に言えば、
過去を省みて未来に希望を託そうとする我々の欲求(思考)が止まねばならないのではと。

思考とはイメージを構築して行くことでしょうか。
そしてそれは、イメージの象徴として創られた言語によって成されるんだと思います。
そしてまた、イメージとは過去にあった色々な想念からなる、過去の記憶から来るのでしょう。

なので思考すれば、精神的な現在には居ないと言う事になるでしょうか。
なので、意識の根底に何かを成そうとする欲望(思考活動)があれば
「いまここ」から外れてしまうんだと思うわけです。


夢も希望もなくなるのですが・・・
引き寄せたいという、エゴの創りだす欲望を放棄し、
そして又、夢や希望を思考の幻想イメージとして放棄し、
自己を諦めて完全に他己(環境・自然)に明け渡すなら(溶け込む・一体感)、
やがて自他は消えうせてゲームオーバーと成るんでしょうか!?

自説ごめんさい <(_ _)>シャシャ


9 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/05(水) 23:38:50.23 ID:fd9EFNz2

>>8
その通りだと思いますよ。
マネゲは引き寄せと違ってエゴの求める具体的な欲求を達成するようなものではないしね。
思考を止めるというのは、マネゲだとプロセスに当たりますね。

この場合、思考を止めるというより、エゴの価値判断を止めるということだけど、
タイトルがアレなんで、今すぐお金欲しい、働かないで暮らしたいみたいな人が
多く読んでるかもしれないけど。

本質はエゴの価値判断やめて今に生きるということだよね。
それがリアクションモードで生きるということだと私は思います。

逆説的で遠回りのようだけど、その先に求めていた経済的自由が現れるんだろうね。


21 名前:名無しさん 投稿日:2012/12/07(金) 16:12:57.79 ID:5P19Q9Oe

未来に達成したいゴールよりも、いま自分がしていることに意識を集中させる
ようにすれば、エゴ的な条件づけのパターンから脱却することができます。


そうすれば、これまでとは比較にならないほど、行動が効率的になるばかりか、
充実感も喜びも無限大に拡大していきます。