2017年5月27日土曜日

自分さん06 「何かが配置される」ことで、そのスペースが同時に発生するのだ。

871:名無しさん投稿日:2013/06/16(日)14:34:11.10ID:Zew8AmhK[1/1回]

第一期のロバートは、プラス思考ならプラスの出来事が引き寄せられるという引き寄せ理論を
インナーCEOというような造語を使い、さも独自理論のように語っていた。

一時的にうまくいったが、破産や離婚を経験し、意識的にプラス思考にしようとしても
引き寄せ現象はコントロールできないと悟った。そこで、プラスとかマイナスという価値観を離れ、
心の歪みを矯正するメソッドを考え出し、脱出できたと思い込んだ。

ところが、脱出したはずなのに、網膜剥離が起こるとか、破産するとかの不幸が続き、
心の状態と引き寄せ現象の間にはなんの関係もないと気付き、
幸運も不運もすべて受け入れようなどと宗教まがいのことを言い出した。

引き寄せ現象はあるが、勝手に起こるだけで、人間にはまったくコントロールできない。
不運を受け入れようが、拒否しようが、まったく何の関係もない。
これが事実だ。



873:名無しさん投稿日:2013/06/16(日)16:18:36.88ID:E+hVA5GJ[2/2回]

結局水の流れるように生きているとき、人は自由を感じるのだろう。
執着しないこと、目の前の状況や他人を自分の思い通りに
どうにかしてやろうと思って躍起にならないことだ。

絶望に打ちひしがれることでそのことを悟る場合もある。
だから運命は変えられるとかコントロールできるとか言って夢()に向かって
がむしゃらに頑張るのも長い目で見れば悪いことではないのかもしれない。
昔の人はそういうのを若気の至りと言った。


853 :名無しさん:2013/06/16(日) 12:44:25.49 ID:iQkRe/T4

観念は自ら作ったものだから自ら変えられる。
とはいえ現象自体を自分の思い通りに変えられるわけではない。
変えられるのは意味付けの方。


854 :名無しさん:2013/06/16(日) 13:06:26.38 ID:bpAFs/JP

>>853 
なるほど。60代になった姿は変えられないが、60代になっても
10代のような遊びが出来ないと思う必要は無いということですか。

しかしいつまでも若い感性を保ち続ける事は素晴らしい事だけれど、
一歩間違えると、10代の頃の幻想にしがみつき似合わない
ファッションなどに身を包むと単なる痛い人であるし。
強調や和を望むなら、ある程度、個を殺す必要もあるし。
変えられないものと変えられるものを見極める事が難しいものです。


875:名無しさん投稿日:2013/06/16(日)23:40:38.82ID:5PB2ObSz[1/1回]

>>854
でも、こうも考えられる。
パラレルワールド的に見れば、60代の自分も10代の自分も、同時ここに存在してたりして。
で、仮に自分が今30代だとすると、60代を選べば、60代までの記憶を持った世界に行き、
10代を選べば、10代までの記憶を持った世界に行く。
しかし、どちらも、以前いた世界の記憶が無い。

つまり、次元波動の違いにより、波長(波動)の違う記憶は移行できないかと!?

では何が移行したのかと言うと、何も移行してない。
そこには、全ての次元を包括した、同じ自己意識の連続性(連続体?)があるだけ。
今の自分(30代)も、自己連続性の一部で、自分が今ここにいるという思いも、
連続性から個として切り取られた観念なのかも。



885:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)12:38:19.93ID:6e5FOdwW[1/1回]

>>875
それは>>753
つまり我々が認識するいわゆる「未来」は「過去」を包括する。
だから未来の視点から見れば、それ以前はすべて同時進行となる。
よって未来も過去もない。

ただ、我々が「不思議」とするものは、なぜ「不思議」なのか。
しかも「不思議ではないこと」を、我々はどういう根拠で「不思議ではない」としているか、
それは「不思議とするもの」と同じレベルである。

すべては我々の認識上で、不思議やら当然やらを決定しているが、
禅問答のように、「質問」こそが「答え」であり、
ただ、「質問」が存在しているだけである。

だから答えはいかように答えられるし、
つまり答えはないともいえる。

スピリチュアルや精神世界は嘘である。

ただ「スピリチュアルや精神世界は嘘である」
この文字があるだけだ。

HTMLでは#FF0000はweb上では赤として表示される。
それがどれだけ鮮やかな赤に見えても、どれだけ醜悪な赤に見えても
実際は単なる#FF0000があるだけである。

そして、どれだけ#FF0000に議論や疑問を与えても
HTMLという枠組みを超えることはできない。

あなたが目の前に白い紙に#FF0000と書いてもそれは単なる#FF0000だ。赤ではない。


886:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)12:49:03.26ID:tvmbz+yX[1/1回]

確かに超常的な現象はある。
結果的にシンクロニシティと呼ばれるものもそうだ。

だが、空気ひとつをとってもみても、見ることも触れることも
できないのにそれがあることをなぜか理解している。
これほど不思議なものはないだろう。しかし不思議ではないのだろう。
つまりすべては、勝手な自己認識の上での話なのである。

HTMLで#FF0000を青にしようする = 現状をガラっと変えて幸福になりたい

ではあなたの中で#FF0000を青とすれば良いだけなのだ。
そうしていろいろ概念を変更していけば、
いずれ#FF0000という単なる文字列があるだけと気付く。
つまり概念の先にある「それ」に気付くのだ。
すると#FF0000があなたの世界で情報を持たなくなり

そしてHTMLが崩壊する。


893:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)17:59:51.72ID:CFZx3+Z2[2/6回]

共時性はたまに起こる。でもあんまり特別視してない。
結構、どうにでもいいものにしか起こらないし意識して起きたこともない。v 一番、よかったの抽選5名のipod当たったくらいかな。

だけどそれはマネゲ読む前、子供の頃
なんとなくヤマが当たって100点とれたとか図画で賞状貰えたとか
子供びいきで商店街の自転車当てたとかと、どう変わるか解らない。
子供の頃はツイてると読んでマネゲ読んでからシンクロと呼び名かえただけかも。

揶揄してるわけでも馬鹿にしてるわけでもなく、見えないものが見えだしたら怖いな。
青が見たくてHTML破壊ならマゾや色盲とどう変わってくるのかもいらぬ心配だけどしてしまう。
皆と同じ価値観の元、物理的にちょい幸せ望んでたのに、病院行きや出家いきは悩むな...。

今、仕事いってるから余計、そう思っちゃうのかもしれないけれど
常識は捨てず100点目指さず60点目指して大金持ち望まず年一回の旅行望んで
こつこつ毎日楽しむってオーソドックスに気付かす為に旅にださせられたのかなと
思ってきた今日この頃。



895:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)18:30:41.78ID:Wk4sOpFh[1/1回]

>>893
>結構、どうにでもいいものにしか起こらないし意識して起きたこともない。

私はあなたのその言葉の中に、神秘と知性を感じるよ。
なぜ「どうでもいい」「重要」を問わず、
あなたの直接体感する世界の中で「起こるのか」。
そしてそれらはなぜ「意識せず起こる」のか。


894:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)18:11:22.56ID:oXVj5u0L[1/2回]

>>885
HTML破壊であればいいけど、経済的壊滅、
家庭崩壊し始めたんですけど、これでよろしいでしょうか。

すべて自作自演でわっはっはーと笑い飛ばせばいいですね。
病院行かなくちゃw。



895:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)18:30:41.78ID:Wk4sOpFh[1/1回]

>>894
>HTML破壊であればいいけど、経済的壊滅、家庭崩壊し始めたんですけど、これでよろしいでしょうか。

あなたがその状況に悲観しているのならば、#FF0000が赤であり
青にするということは、その逆に感じ取るということだ。
つまり視点を変えれば、そしてそこから連鎖的に繋がる出来事から見れば
プラスだったのかもしれない。そしてプラスもマイナスもないことを知る。

あなたという世界感(HTML)では、経済的壊滅(#FF0000)は、悲観(赤)でweb表示される。
しかし青、そしてそれらは色などなく、単なる#FF0000であることを悟るのだ。


902:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)20:08:53.76ID:RRnWO0uS[2/3回]

>>885
HTMLという枠組みを超える。
言うなれば、集合意識のもつ概念を超える!?
むずかしいです。



907:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)21:59:51.30ID:3zw6ev1M[1/4回]

>>902
しかしそのHTMLすらも概念である。
個別のHTMLタグを発生させる「空間」であるが、
HTML自体が、上を見れば「OS」という空間の中の単なるプログラムである。

そしてOSの上にはまた「何か」があり、その上にも「何か」がある。
しかしHTMLタグのレベルからでは、それら「何か」は認識できない。

なぜならプログラムそのものが違うからだ。
CPU内部のアーキテクチャーにHTMLは存在できない。

このことから、最底辺レベルにあるのは、#FF0000を「赤」と表示する「概念」であり、
通常その概念に満ちた世界に我々はいる。


912:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)22:22:00.52ID:3zw6ev1M[2/4回]

エックハルトトールが、「部屋」はそれ自体を指し示すことはできない。
壁や床、天井はあるが、それらは「部屋」を示しているのではない。
そしてその部屋に、机やタンスが配置されることで「部屋」という空間が生まれるのだ、とある。

その空間が「無」であり、どんな音にも、
それらが発生した時点で裏側の「沈黙」も生まれる。

ここからは私の解釈だが、
つまり「無」が最初にあるわけではないのだ。
さらに「部屋」という、カタチと同時に生まれた空間は、
「家」というさらに包括する空間の「有(仏教でいう色)」であり、
その視点からは「無」ではなくなる。家は「町」なりの「有」である。

つまりどこまで行っても完全な無など存在しないのだ。だが「無」は「無」である。

カタチと同時に無が生まれる(この表現は正しくないが)、
ということはカタチは無であるとも言える。
だから目の前のコップを消し去ることは可能である。
なぜならば「そこにある」ということは、「そこにない」を包括しているからである。

これが何を意味しているか。
つまり、「概念」を消し去れば、それ自体は認識できなくなるのだ。
感じるだけである。

例えば登山道の足跡を見て、また整然と干された洗濯物を見て、人の心を感じないだろうか?
例えば何もない窓辺に、以前置いてあった花瓶を感じることができないだろうか?


913:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)22:40:03.58ID:3zw6ev1M[3/4回]

スピリチュアルに興味を持ち始めると
「無」という空間にビッグバンが起こり、「有」が生まれたと誰がも考えてしまう。
つまり「無」という日常に出来事が起こり、生命が生まれ、景色が視界に入り、
そしてそれらは再び「無」へ過ぎ去っていく。

だけども、何かがあるから、裏側にそれを支えるスペースがあるのだ、
と解釈したときに人生観がひっくり返るだろう。

もう一度書くが、「ある」は「概念」だ。
そして「概念」は、それ自体が存在するために「スペース」を発生している。

かるた、トランプなどと同じである。
1枚1枚、絵柄などが書かれているが、それら絵柄の背景には、
絵柄を描くための個別のスペースがある。
そしてそのトランプの束を置くテーブルがあり、(トランプ側から見れば、テーブルが空間、つまり無)
さらにそのテーブルを置いている床がある。(テーブルから見れば床が空間である)

これは何を意味している?
「無」も概念である、そういうことである。

では我々の概念世界で指し示される
「大いなる意識」「本来の自分」と言われる「無」は概念なのである。
ただし、ここで大きな発見がある。

「何かが配置される」ことで、そのスペースが同時に発生するのだ。
つまり、あなたという概念が世界に発生したから、
あなたの「今」という空間が常に発生しているのだ。

しかし前述したように「今」も概念である。
概念であるということは、#FF0000を「青である」と同様に認識することができるのだ。

あなたの世界はバラ色なのである。素晴らしいという意味でのバラ色だ。


914:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)23:09:27.08ID:3zw6ev1M[4/4回]

つまりあなたこそが「無」である。実際は実在していないのだ。
だが「無」であるがゆえに、実在を「感じる」だろう。
なぜ感じるのか、「自分ここにいるじゃん、」となぜ思うのか
それは概念が作用しているからだ。

つまり概念を生み出す思考がなければ、あなたは実在を認識できない。
熟睡状態だ。だが厳密にいうと熟睡状態は「無」ではない。
なぜならば思考による「概念」がいないからである。それらは「対」の関係である。
では思考とはなにか。

思考が発生するためには、そのスペースが必要である。
つまり思考なり、すべての事象や物体、出来事は、無の上に成りなっている。
だが無というものは、単一では存在できない=存在を捉えることができない。
あえて語弊のある書き方をすれば、何かが発生したときに、
それに対応した無が発生しているだけのことなのだ。

しかし個別の「無」は、さらに大きな視野から見れば、無ではなくなる。
さきほどのレスに書いた、テーブル→床→部屋→家→町‥ というように
それ自体を包括する抽象レベルを認識した途端に、無たる空間は、有限のものへと変容する。

我々の瞑想は、個別の無を、一段だけ大きな視点から観る(感じる)ことで
無を有形化しているに過ぎない。ただしそれがヒントとなるだろう。

概念こそが、すべてを変容させるマジックであり、
誰もが、個々の描いた通りの世界を体感できるのだ。


916:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)00:07:36.81ID:mSrS66Ms[1/1回]

「それ」という純粋無垢な何かは、ない。
「無」という空間に「有」が生まれ消え行くわけではない。

概念を与えたときに、それを投影するスクリーンような「無」が発生する。
その繰り返しである。
つまり「それ」があると思い込んでいるだけで、
概念を剥がしてみると、なんと何もないのだ。

外を歩けば、アスファルトに電柱に看板に通行人に自転車にと、
いろいろ遭遇するが、それらは「概念」を通してあなたは見ている。
そして一般的なスピリチュアル論では、概念を「通さずに『それ』を観れば」
純粋無垢な「それ」を感じることができる、と伝えられている。
> そして形あるものにしろ、出来事にしろ、
単一の「それ」が生まれるのが「無」である、とされている。

私はそうは思わない。
そもそも単一の「それ」は、概念を剥がしてみると、ないのだ。
なぜならば、概念とセットに「無」というスペースが発生するからであり、
概念を剥がせば「無」があるだけ。
ただし、無という共有空間があるのではない。

無は概念にくっついている。
「それを観れば概念が‥」ではなく、「観れば概念が‥」なのである。


917:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)00:12:19.34ID:CL8fXihbs[1/4回]

よって、あなた自体が「無」である。


2017年5月19日金曜日

自分さん05 今を感じるということは、つまり「あなた」自身を感じるということだ。

778:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:08:14.03ID:i39o/+9a[1/3回]

>>773
だってお金大好きだもん。
だから内容よりお金に目が行くの当然だもん。
けど内容にふか~~く目がいけば沢山のお金とるのに疑問もわくもん。



779:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:12:19.60ID:rEcgG32Q[3/20回]

>>778
では、マネゲ本がこの世のなければ、いまのあなたは疑問に苦しむこともなかったのだろう。
そしてその苦しみと一緒にある「読んで得られた楽しさ」もなかったのだろう。

あなたにとって、世界のすべてが胡散臭いのだろう。
ではすべてを手放してはどうか。

上でも書いたが、金持ちになりたければ、あきらめたら良い。
その意味を後で教えてあげよう。


780:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:16:30.00ID:i39o/+9a[2/3回]

違うよん。お金が欲しいはエゴだもん。
だから本にも自分のエゴが投影されるから
金儲けに腹立つの当たり前だもん。

それ自覚してそこ超えたら、否定や怒りじゃなく
大金とることに疑問を覚えるようになる時もあるんだもん。



781:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:20:17.10ID:rEcgG32Q[4/20回]

>>780
ほお。あなたは面白い。
そういう包括した視線が「すべて」なのかもしれないな。
またひとつ勉強になりました。


782:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:23:52.47ID:OhOoMkTm[1/6回]

観念がなくなっても存在が消えるわけじゃない。

生まれた時から観念はあったか?
観念は経験による記憶によって作られるものだ。
だから記憶と予測という想像なしで存在を認識する必要がある。
そして過去の記憶や将来なりたい自分ではなく純粋な存在としての自分が残る。

キリストの言った「汝、幼子のようにならなければ天の国に入る事はできない」とはそういう意味だ。


784:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:30:18.68ID:rEcgG32Q[5/20回]

>>782
私の過去のレスを読んでいなかったら申し訳ないのだが、
あなたが書いていることは、私がこれまで書いていることをなぞっている。

つまりあなたの疑問は、私がいま現在抱えている疑問と同じである。
では現実問題、すべての概念を捨ててしまったら「無」しかありえない。
「それら」を感じることがすべてになってしまう。

それは完全に脳死状態(私はそう例えるしかできない)である。
あなたのいう「純粋な存在としての自分」とは、私はそのように達観する。

キリストのその話はわたしも好きだ。あなたのいう通りである。
だが、それは「心から本当に求めたいのか」と問われれば私はまだ幻想にいたい。


785:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:37:52.05ID:OhOoMkTm[2/6回]

>>784
幻想の中で戯れていたいならそれでいい。
だが悟りとは幻想を超えて実在を見出し、そこに溶け込む事にある。
幻想の中にいる限り、どうあがいても「悟り」とは程遠いんだよ。
幻想という夢から覚めて初めて覚醒と呼べるのさ。



786:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:42:05.26ID:rEcgG32Q[6/20回]

>>785
その意見に対しては反論がある。
そもそもこうして、2ちゃんねるなるものに書き込みをしている時点で幻想の世界だ。
つまり幻想の世界にいなければ、何も表現できない。
つまりあなたの言う「悟り」は決して表現できないものだろう。
それは私も理解している。

では、この人生の中で悟りを表現することは不可能か?

それは違うとも言える。
なぜならば、「悟り」という概念自体が「単なる私の生涯の中の、単なる存在」であるからだ。
そう理解すれば、幻想こそが悟りとも言える。
自ら作り上げた概念こそが悟りの境地とも言える。

よって答えはないのだ。
ただ私の疑問は、なぜ私は私なのか、ただそれだけだ。


787:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:51:25.36ID:OhOoMkTm[3/6回]

>>786
なぜ私は私なのか?
そこに意味を求める事が既に幻想だ。
物事に意味を求める以上、答えは幻想だよ。
存在に意味は必要ないんだ。

悟りが幻想だというならそれでいいさ。
でも今の君には辿り着けない場所がある。
それも幻想だと思うかもしれないけどね。



788:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:53:56.26ID:rEcgG32Q[7/20回]

あなたは単に私の話をなぞっているだけだ。
私は何も求めていないし、大して疑問にも感じていない。
少しテストをしてみただけだ。

だけども、あなたは私である。感謝をしている。


789:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:56:22.93ID:rEcgG32Q[8/20回]

ちなみに、私はあなたである。それはあなたが一番よくわかっているだろう


790:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:00:05.53ID:OhOoMkTm[4/6回]

>>789
幻想の中でそれを言っても妄想でしかない。



791:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:03:33.37ID:rEcgG32Q[9/20回]

その通り、つまり「幻想」こそが「悟り」なのだ。
そして「幻想」こそが「悟り」ではないのだよ。


792:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:04:49.82ID:rEcgG32Q[10/20回]

このすべてがすべてである。


795:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:13:13.19ID:rEcgG32Q[11/20回]

よろしい。
では先に書いた「金持ちになるには、あきらめろ」を伝えよう。

まず、なぜ金持ちになりたいかを突き詰めなさい。
それは「安心」に行き着くだろう。つまり安心が欲しいのだ。

では安心とは何か。概念である。
概念である以上「求める苦しみ」が発生する。

金持ちになりたい、と思うから求めて苦しいのだ。
あきらめるとは、それを意識しなくなる、ということである。
つまり、それ自体に概念を与えないということだ。

金持ちになりたい=安心したい=概念

その概念を放棄することにより、苦しまなくなる。
つまり、安楽が訪れる。


金持ちになりたい、そうすれば安心だ。
ということが、金持ちになりたい意識を捨て去ることにより
安心を得られるという矛盾。

しかし矛盾ではない。それがマネーゲームの脱出である。


824:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:34:33.60ID:rEcgG32Q[12/20回]

さて今日のテーマは「いまに在る」だ。
私は瞑想を日課にしている。私に相性が良いのは歩行しながら瞑想する歩行禅である。
もう癖みたいなもので、何をしていても「今に在る」ことを忘れていない。

昨夜頂いたレスの中で気になるものがあったんだが、
完全な概念崩壊は可能である。つまり熟睡状態や、死である。

だが「完全な概念崩壊がすべてであり、それ以外はまやかし」という意見については賛同できない。
日頃の瞑想をしている人は理解できると思うが、「自我」と「今に在る」は割合というか、バランスがある。
ある程度瞑想に慣れてくると「いま、自我と「それ」は半々ぐらいだな」みたいなことが概念の上で認識できる。
もちろん概念を完全放棄している状態だと、認識どころか歩くことも「表現できない」。

基本的に「いまに在る」というのは、ただ今起こっているすべてを「感じる」ということだ。
肌に触れる風、気温、周囲から聞こえる音、視界に飛び込む光。
それらを「思考を介してレッテルを貼ることなく」ただ、感じるということだ。

「思考を止めなきゃ」とやり方を間違えている人もいるが、
思考を止めるという行為が思考によるものなのでそれは不可能だ。
だけども、今に至りながら、それを認識するという「自我」を両立させることは可能である。
慣れればね。

瞑想についてだが単に五感のどれかを感じていれば簡単に思考は止まる。
だが思考が止まっているということ「思考」すれば元に戻る。

例えば目に意識を持っていく。
目の細胞を意識してもいいし、単に目の周囲の筋肉を硬直させてもいい。
その状態で視界を「感じる」と、いつの間にか思考は止まっている。
だが止まっていると認識すれば、瞬く間に自我の世界に戻る。
そして、また五感のどれかに集中し「今」に入る。

感じるという行為は、思考を完全に静まらせてくれる。
簡単なことだ。今を感じる、それは完全なリラックスを意味する。
私は瞑想に出会うまで、思考によるリラックスを行っていた。
つまり「考えている間、休まる」である。

だがいまは、本当の意味のリラックスを得ることができている。
思考からも体からも完全な自由を得て、さらに時間からも解放されている。

さて、では「今に在れば」一体なんなのか、それを今夜は伝えていこうか。


825:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:45:16.86ID:rEcgG32Q[13/20回]

まず理解しなければいけないのは、あなたが「今」見ている風景や
「今」聞こえている音、「今」感じている温度などは、すべて過ぎ去った記憶である。
だから「今」自体も実は本当の意味での「今」ではない。
感じる時点で、記憶を読んでいるだけなのだ。
これが何を意味するのか。

あなたは記憶でできているのだ。
つまり、記憶がなければすべてを認識することができない。
記憶こそが概念であり、五感であり、幻である。

ではここでひとつの疑問にぶち当たる。

記憶があるということは、その行為があったわけだ。
物を見たから、「見た」という記憶があり、見えたものを後々になってあなたは「知る」。

では「その行為」をしているのは一体誰なのか?
この答えをいまから書くが、いちいち表面だけの反論はせずに一旦じっくり考えてほしい。
私からのお願いだ。








我々が認識できる範囲、つまり概念の上での説明でしか伝えることができないが
その行為をしているのは、なんと自分である。

でもおかしい。
記憶でしかすべてを認識できない自分が、どういう意識でその行為を行っているのか?
いや、その質問は間違いだ。
正しくは、「どういう意識でその行為を"行っていた"」である。

行っていたのである。
誰が?
自分が。
まるで他人ごとのようだ。 

続く~


826:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:52:14.74ID:rEcgG32Q[14/20回]

行為を行っていた。自分が。認識した時点ですでに結果である。

あなたが体験する日々の出来事は「起こっている」。
それら起こっている出来事は、実はあなたが起こしているのだ。
ここでいうあなたとは、マネゲ本でいうところの「本来のあなた」というやつだ。
だけども「本来のあなた」とか「大いなる意識」とかいうのは、単に自分のことだ。

あなたが、自分と思っているのは単に概念の重なりであることは以前にも書いた。
あなたの正体は「あなた以外のすべて」である。

出来事は起こる。
起こる出来事に、あなたは体験する。
体験した記憶で、あなたは「体験したのだ」と認識する。

じゃあ、体験したのは誰か。
答えは、出来事だ。もっと突き詰めれば「出来事が起こる」の「起こる」が答えだ。
つまり「起こる」こそが、あなただ。オカルトではない。
よく考えてみれば‥つまり思考でもここに行き着くだろう。

イチローが幼少の野球と出会い、いまの彼があるわけだが、
幼少にサッカーと出会っていたら、いまはサッカー選手なのかもしれない。
イチローがイチローではない。
野球と出会わせた「出会いという出来事」がイチローなのである。


827:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:57:51.37ID:rEcgG32Q[15/20回]

まあ現在の自分に置き換えて考えてみれば理解はしやすいだろう。

あなたが今、サラリーマンだとする。
あなたはサラリーマンだ。毎日電車に揺られて出社する。
そういう光景を毎日見ているだろう。

あなたは、あなたを見ているのだ。
つまり、あなたが感じている「すべて」こそがあなたである。


さて「今に在る」に話を戻そう。
今に在るとは、リラックスしている状態だ。
リラックスとは、平安である。不安も悩みもない。今にあるから、未来や過去に振り回されない。
ただ、「いま感じていることがすべて」の境地である。

その「感じているすべて」が自分であったことは容易に気付くだろう。
つまり無限なのだ。


828:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:06:36.99ID:rEcgG32Q[16/20回]

生活の中で、みんなそれぞれ悩みや不安があるだろう。
悩みや不安があなたである。

あなたは「あなたの作り出した」いや、あなた自体である
「悩みや不安」の中でしか生活を送ることができない。
いわば水槽の中の魚である。水槽が、本来のあなただ。

だが水槽は単なる定義である。
いくらでも大きくもできるし、豪華な水槽にもできる。
ただし、「大きい」も「豪華」も概念だ。

‥さて、私が何を言いたいのかわかるかな。

あなたは常に幸福なのである。
貧乏でも辛い現状があっても良いのだよ。
あなたの人生はなんでもいいのだ。それを理解しなさい。


830:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:11:56.98ID:rEcgG32Q[17/20回]

あなたは、あなたが見ている世界でしか生きられない。
なぜならば、その世界があなただからだ。
世界があなたということは、常に守られているのだ。

魚は水を知らない。常に水の中にいるからだ。
生まれたときから今に至るまで、ずっと水の中にいるから水を認識できない。
知ることができないのだ。

だが魚が水から飛び出したとき、水の存在を知る。

ずっと知らないものに守られていたと気付く。
そして「水」があったから自分があったと理解する。
「水」が自分だったと悟るのだ。


833:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:16:30.06ID:G7dCdKeJ[5/8回]

>>830 
表面的理解で周りの人が何も解っていないと思ってしまうのは何故?
自分だけの世界があり他人はいないに気付いた後、陥りやすい間違いもある。



835:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:20:37.08ID:rEcgG32Q[18/20回]

>>833
そういう世界にあなたは生きているのだろう。

他人は存在するよ。
だが、あなたの概念を通したカラーで、その他人を観ていることになる。

マネーゲーム本の中で、他人のそれぞれの世界がどう成り立っているか、
それは作家が「作家は嘘つき」‥みたいな感じてで書いていたが、
彼はそのあたりについては理解していないようだ。
というか、どう説明していいかわからなかったのかな?

全部、存在してるんだよ。
ただ、概念を通してしか、己は他を認識しないだけ。


836:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:23:59.67ID:rEcgG32Q[19/20回]

今を感じるということは、つまり「あなた」自身を感じるということだ。

あなたは、現在の状況の中にいる。
つまり状況があなたを作っている。
よって、状況こそがあなたなのである。


837:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:24:22.51ID:G7dCdKeJ[7/8回]

>>それは作家が「作家は嘘つき」‥みたいな感じてで書いていた

時期がきてなかったんじゃないですか?
もしくはイチローがサッカーに出会わなかったように出会う必要がなかったか。



838:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:25:58.45ID:rEcgG32Q[20/20回]

なるほど、その通りだな。
彼にとって、その認識は世界に必要なかったのか。

また勉強になりました。ありがとう。


2017年5月12日金曜日

自分さん04 幻想の世界で生きているならば、都合良く概念を書き換え、大いに楽しむこと。

750:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)21:12:24.95ID:gF9MI9z/[9/19回]

さて今夜はあなたたちが必死に囚われている「概念」について話してみようか。

2ちゃんねるで交わされる文字だが、
そこには「文字という直線や曲線で構成された形状」があるだけだ。
会話にしても「音波」が繰り返し行き来しているだけだ。
そこに「内容」が入るから、それぞれの無機質なカタチは色を持つことになる。
それこそが、概念といわれるものだ。

あなたの目の前には、様々な「物体」があるだろう。
「パソコン」という名前を与えられ、使い方を与えられ、役割を与える。
「ティッシュ」という名前を与えられ、役割を与える。
だがそれら「内容」がなければ、単なる物体である。
さらに「物体」という視覚情報すらも「内容」であり、それすらも認識しなければ
何もない状態となる。これが「無」である。

このスレッドの意見の交わし合いもわかるとおり、
所詮は文字という形状が並んでいるだけである。
だが、この文字の羅列は「青」という内容であるらしく、
こっちの文字列は「赤」という内容らしい。

だから「それぞれが違うものである」と主張をしているようだ。
だがどちらも単なる文字だ。黒い直線や曲線が重なり合った絵のようなものだ。

これは何を意味しているのか。
どれだけ「分離」を作り出しても、しょせんは大きな枠組の中であるということだ。
日本語が読めない外国の人がこのスレッドを観れば、
日本の文字であることは知識としてあるかもしれないが、
どこに対立がありどこに「色の違い」があるのかは理解できない。
ただ、日本の文字らしいものが、調和として目に映るだけである。

だから一段、さらに一段、抽象的な視点で物事を観ていくと
どんどん調和されていき、最終的には必ず「無」にたどり着く。

山田町にいる。東京にいる。日本にいる。アジアにいる。地球にいる。太陽系にいる。
これはどれでも同じ意味を指しているが、細かな「内容」がどんどん破棄されていき
抽象化=調和していくのが理解できるだろう。最上階にあるのはワンネスだ。

つまり「概念」は分離の象徴であり、仏陀のいう「苦」以外のなにものでもない。
ちなみに、「幸福」というそれ自体も概念である。だから幸福すらも苦なのである。
行き着いた先には、幸福すらもない。だから至福の世界なのだ。


753:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)21:28:33.40ID:gF9MI9z/[10/19回]

はい、次は時間について語ろう。時間は存在していない。

わかりやすい例として、あなたが最近読み始めた漫画があるとする。
面白くて読みふけるあなた。
主人公が様々な四苦八苦し、山あり谷ありの展開を乗り越え
期待や不安に「この後どうなるんだ!?」と目が離せない。
感情移入が高ければ高いほど、どっぷりその漫画の世界にのめり込む。
そして最終話がやってくる。すべての物語が決着し、その漫画の最後のページを閉じる。

さてしばらしくて、あなたはまた同じ漫画を読み始めた。
最終話も物語のオチを知っているあなたは、
どんな意識で「様々な展開に四苦八苦」している主人公を観ているだろうか?
結末を知っている状態で、まだそこに至っていない主人公や物語を観ている。
つまりすべて内包した世界を時間の概念を飛び越えて認識しているのだ。

主人公が苦悩しているシーンを読んでいても結末を知っているあなたは
「そうそう、ここで苦しむんだな、でも大丈夫なんだよね」と
初見の時とは違う意識で捉えることだろう。
つまり常に安心しているのだ。

これをそのままあなたの人生に置き換えて考えてみてほしい。
今日のあなたは昨日までの結末を知っている。
3ヶ月前でも昨日でも、5年前でもまるで夢の中のような記憶があるだろう。
それらは過ぎている。夢のようではなく、本当に夢なのだ。
だからあなたがいまいるそこも、夢の中なのだ。理解できるかな。

今日のあなたが過去のあなたをすべて内包しているわけで、つまりノンリニアだ。
記憶の連続性により錯覚しがちな「時間」は実は存在していないことになる。

あなたが花瓶を買ってきて、窓際に飾っていたが、落として割れて、いまはない。
そこにはなにもないが、あるのだ。


755:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)21:41:19.57ID:gF9MI9z/[11/19回]

無から生まれ無へ消える。
本当にあったのか?
本当にないのか?

どちらでもない。そういうことを探しても無駄だ。
海の中で「海はどこにある?」と探しているかのよう。
だがいったん気付けば、もの凄く単純なものである。

目の前にパソコンやティッシュがあっても、それらが本当は何なのか、誰もわからない。
以前も書いたが、外的に付与される幾多の概念の組合わさりにより
「内容」を認識するが、それ自体を指し示してはいない。
それらは「無」であるがゆえ、本質はないのだ。
森羅万象、すべては無である。
生物も、感情も思考も、ないのではなく、無なのである。

あと、金持ちや恋愛にこだわる人が多いがあきらめなさい。
あきらめれば、いずれ手にしている。
どういう意味かは、実際にそれを体験すればわかる。

嘘でもなければ、なんとか体験でもない。リアルな話だよ。

無限の富の意味もわかるだろう。
たぶん今の認識で理解しているものとはかけ離れていると思うが
最高の満足を得られることは間違いない。


756:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)21:51:58.22ID:gF9MI9z/[12/19回]

最後に伝えておくが、昨日も書いたように
どんな状態でも「それこそがあなたの人生!」だ。

これも文章では非常に伝えにくいが、すべてあなたなのだ。
通り過ぎる車も、やかましいファミレスの若者も、
テレビの可愛いアイドルも、ギターも服も、資産家も政治家も、
それら「概念」があなたの認識世界の中で組合わさり、
重なり合った「隙間」こそが、あなたなのだ。
要は、それらがあなたである。

たくさん眠りたい!もっと寝たい!それが夢だ!
という人は、たくさん睡眠できること、に視点が行きがちだが
実際は、眠りたくなるような疲れる毎日があるからこそ、眠りたいのだ。
ラーメン好きも、ラーメン以外のものも食べているから、ラーメンが好きなのだ。
「それ」は「それ以外」で構成されいる。
暑いは寒いがなければ存在できない。

これが「あなた」とは普段自分と思っている以外のすべて、ということである。
一元論がどうこうと主張する人が多いが、
一元論が存在するためには、それ以外が必要だ。

だがそれらもしょせん「概念」を超えることができず、
実際は、どちらもなく、ただそれがあるだけなのである。
だが単一では「それ」を認識できないから、我々は夢を見ている。(見さされている)

1-1=0
あなたの見ている世界のすべては、あなたを通して、初めてその世界を認識できる。
だからあなたは生まれたのだ。そのためにあなたはいるのだよ。


757:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)21:57:49.80ID:MbDqpmYa[7/8回]

>>755
主観的に言えば、この世界は、アハ体験という気づき(理解)で成り立ってるのかなと。
五感に感じた全てが、気づきだと思うわけです。

そうじゃないと、「視れども見えず、聴けども聞こえず」状態で、

物事の認識が出来ないと思うからです。
しかし、物事への気づきの深さも然りですが、行為をしているこの
「私(自己アイデンティティ)」に気づいていることこそ第一かと。
この「私」こそエゴの基盤であり、全てがここから生じているわけでしょう。

そしてこの「私」を自覚してる状態が、
貴方が思ってるかも知れない有意識状態だと、勝手に想像してるわけです。
貴方が言ってる、もっと自分の体に意識を向けることも、これへの方便かと。

そしてまた貴方のこのレスを見ているのもまた「私」でしょう。
自分は、常にこの気づき(自己観照)状態を保っていようとしてるわけです。
これがつまり、アハ体験をするための、アハ体質づくりではないかと、
そのように偏見してる次第ですハイ(爆汗)



758:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)22:02:34.27ID:gF9MI9z/[13/19回]

>>757
ああ、その通りだ。

私という存在を見て、なんらかの概念を持つだろう。
その概念こそが、隙間であり、あなたを構成しているパーツのひとつだ。

あなたの部屋の明るさ、気温、音、物体、すべてにあなたは意識を向けたとたんに概念を持つ。
だが概念は「それ」を指し示しておらず、単なるあなたの「印象」だ。
つまり、そういうありもしない幻で我々は構成されている。


759:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)22:04:13.59ID:gF9MI9z/[14/19回]

体に意識を向けることで、概念を持たずに「それ」を「感じる」ことができる。
つまりパソコンと言われるものを「パソコン」とは認識せずに、
「それ」を感じることができるのだ。


760:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)22:23:53.93ID:MbDqpmYa[8/8回]

>>759
有難うございます。
このような話を聴くには、今までの観念(エゴ・思考)が邪魔になると思います。
でも、その雑念なる観念(思考・エゴ)が身を引いた時(悟りの状態?)、
自然と話の流れに身を置いてるのだと思うわけです。

このことを中村天風と言う人は、自覚正念と言ってるようです。
それは「意識が明瞭な状態で、一切の雑念がカットされて本来の知恵が発露し、
そしてリラックスしながら高度に集中している状態」とか!?
だからつまり、本当に聞いたなら、それは目覚めたと言う事になるんだと思います(汗)
何度も繰り返し読む必要がありそうです(爆汗)



761:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)22:33:09.64ID:gF9MI9z/[15/19回]

>>760
本当に聞くもなにも、「それら」は常にあなたの周りにあるよ。
概念レベルならば「それ」をどう観るか、ということになる。
まあ、貧乏でも幸せと感じる人もいるし、金持ちでも苦しいと感じている人も多い。
結局は「それ自体」が何かを生み出しているわけではなく、
すべては切っても切れない「概念」に支配されてしまう。

だが概念は変容できるものだから、都合良く解釈していればいいんじゃないかな。
結局は、こういう精神世界の話は忘れてしまうに限るのだ。
そして、瞬間瞬間に訪れるすべてを感じきりながら生きることで
永続した充実感を得られるだろう。


763:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)22:45:29.43ID:auGriPLe[1/5回]

なんか毎日書き込んでる人がいるけど、
上から目線で説教されてるみたいで気分悪い、、、

でも、こういう気持ちになったときこそ、プロセスをする機会だよね。
おかげで、自分の卵を割るきっかけになったんだし。

この幻想を創った自分にありがとう。
きっかけをくれたあなたにありがとう。
そのプロセスにありがとう。

あまりにリアルな幻想だから、ついつい引き込まれそうになったよ!笑



766:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)22:54:26.74ID:gF9MI9z/[16/19回]

>>763
「書き方」に印象を持つこそ概念の象徴たるものだな。

アインシュタインに上から目線で理論を説かれるのと
満員電車の座席で寝転んでる学生に上から目線で文句を言われるのでは何が違うのか。

つまり、アインシュタインも学生も、私も「それら」は何も力を持たない。
あなたが作り出した概念により、あなたは振り回されているのだ。
そう、いまこそプロセスだ。

体を意識するのもいいよ。


767:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:01:48.37ID:auGriPLe[3/5回]

>>766
前半2段落の意味がよくわからん、、、
中学生にもわかるように三行でオナシャス。
オレは簡単に説明してもらうのが好きなんだよw



768:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:05:21.20ID:gF9MI9z/[17/19回]

OK。

つまり、誰かが何かを話している、それだけのことなのに
あなたは、その人の「話し方」「態度」「肩書き」により
印象を作り上げている。それが苦しみを生んでいるんだよ。

プロセスとは、そういう「印象」=「概念」を客観的に観ることで
本来の「それ」を「感じる」ことが可能になる。

それを続けていると、いかに自分が「印象」で世界を判断し
その作り上げた枠組みの中で苦しみ続けていたかを気付くことができる。


771:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:29:44.75ID:gF9MI9z/[18/19回]

>>767
付け加えておくが、概念を持ってしまっているあなたに罪は無い。
こういう話をしよう。

ある人が幼少時代、赤い下着を着けていたことでイジメに遭い、
顔が四角いという理由で異性から笑われた。

その人がいま、郵便ポストに怒鳴り散らしている。
その人からすれば切実な拒絶反応だ。
だが、周りから観ればクレイジーである。これが概念の愚かさだ。
だがその人に罪は無く、その人の「記憶」=「概念の元ネタ」による支配であることがわかる。

誰かにイラ立つとき、その誰かの言動なりに
過去に嫌な思いをした記憶が蘇らされるからである。
つまり、その目の前にいる誰かは何も悪くない。

マネゲのプロセスでいう本来の自分とは、単に自分のことである。
すべてデッチ上げというのは、自分で作り上げた概念に振り回されているから、ということである。
だから世界は自分なのだ。

じゃあ、それら概念を取っ払えばどうなるのか。
いや、五感がある以上概念は取っ払えないから(五感の認識自体が概念である)、
概念を都合の良いように変えればいい=世界は自在に変えられる。

ただそれだけのことだ。


772:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:43:42.25ID:auGriPLe[4/5回]

>>771
うん、言っていることはよくわかるよ。
自分がストーリーを作ってて、それがなければ自由になるってことだよね。

でもオレが違和感を感じるのは、
なんか押し付けられてる感じがするってことなんだよね。
ぶっちゃけると、なんとなくかすかなエゴの香りがして気持ち悪いの。

それが自分の中にあるエゴのせいだというのは頭で理解してるんだけど、
きっとそれをハートで理解できてないんだろうね。

ごちゃごちゃ考えてたら、なんか眠くなってきちゃったww



773:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:50:05.75ID:gF9MI9z/[19/19回]

>なんか押し付けられてる感じがするってことなんだよね。
ぶっちゃけると、なんとなくかすかなエゴの香りがして気持ち悪いの。

自分で押し付けていることに、早く気付きなさい。
あなたから見えている私は存在していない。
でもあなたには、あなただけの「私」が見えているだろう。

そのまま生きていくのも良い。
何か変えたくなったら変えてみても良い。

マネーゲーム本の著者も、
その他のスピリチュアルな伝道者も、
「金儲け」が交わることで、誰もが印象を変えてしまう。
この意味に早く気付きなさい。

すべては、あなたがたのために、ただ存在しているのに、
あなたがたが、すべて灰にしてしまっているのだよ。


774:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:53:05.06ID:UE6pTVVn[12/12回]

実際のところプロセスの目的は物事の価値を作ってる観念の崩壊を促すものだと思うけどね。
全ての幻想である観念を崩壊させる事により結果的に
「実在」に辿り着くというのが作者のやりたい事ではなかろうか。

「実在」というのはヨガでの呼び方で、
「本来の自己」であり、仏教では「空」、老子は「タオ」と呼ばれるものです。



776:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:01:53.26ID:rEcgG32Q[1/20回]

>>774
その通りだが、現実的には概念は崩壊できない。脳=五感は概念を認識する器官だからだ。
認識が消えてしまうということになる。それは確かにあなたのいう「空」や「タオ」である。
だがそれだと、あなた自体も概念であるがゆえに消失する。
熟睡中は感情も思考も記憶もないのに、心臓も動いておれば呼吸もしている。
それが境地である。

だが、そうなりたいのか? つまり脳死状態だ。
いずれ死という、安楽の境地に至るわけであり、概念の完全崩壊はその時に任せよう。
幻想の世界で生きているならば、幻想を大いに楽しむ=概念を都合良く書き換えることが
ベストだと、私は思う。


775:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)23:59:06.48ID:auGriPLe[5/5回]

>>773
そうそう、自分でおしつけてるんだよね。
まったくそのとおりで、いっさいの異論はございません。
オレは今までの人生でずっとそれで苦しんできたし、
そこから成長したいと考えているんだよ。



777:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:04:33.79ID:rEcgG32Q[2/20回]

>>775
よろしい。
成長したい、つまり現状の自分=世界を変えたいわけだよね。

ならば、印象で判断しない。
あなたはそれだけで一気に昇華できるよ。

私もあなたと関わることで学べた。
こうして、ここで出会えて光栄です。ありがとう。


2017年5月5日金曜日

自分さん03 基本的に本来あなたが自分と思っている以外が自分である。

655:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)21:21:59.90ID:1msh7hUc[3/12回]

釈迦にしてもキリストにしても、2本足で歩き、飯を食い、普通に地球人として存在していた。
悟りとは魔法を使う訳でもなく、常人を超えたパワーを発揮するわけではない。
それこそ、当時からすれば2500年後の現代人の方が魔法使いに見えるだろうし、
オリンピック選手こそ常人を超えた存在である。

では悟りとはなにか。
金持ちが人生に苦しんでいたり、
低所得の人が人生を楽しんでいたり、
いわゆる「普通に思っている世界」がいかに、普通とかけ離れているか、それはなぜか。
今夜はそれを解き明かしていこうか。

だがその話の前に、まずこれに気付く(疑問を持つ)必要がある。

あなたがすべて嫌になって都会の喧噪から離れて山小屋で身を潜めていても、
楽しいことがあって部屋で小躍りしても、
学校のテスト中に問題用紙に向かっているときでも、
出社中に電車で揺られていても、富士山に上っていても、
コンビニのトイレで用を足していても、
子供の頃、かくれんぼをして一人、押し入れで隠れていても、
賑わうデパートで様々な商品を楽しみながら歩いていても、

あなたが何をやっていても、常にそこにあるものがある。
それはなんだ?

答えは

「あなた」 だ。
あなたが何をしていようとも、どこにいようとも、
あなたの体験を感じている「あなた」が常にいる。

コンビニで「客」を演じる自分を感じている「自分」がいる。
このように書けばわかりやすいかな。

すべては、こういう視点が前提になることを理解しなさい。


657:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)21:53:10.13ID:fQQxUUxn[1/5回]

>>655
自由意思はあるのですか。
自分の今の瞬間の為、もの凄い数の命が犠牲になっていたとしても
今の自分を認識させるため、コンゴやルワンダの事件まで
自分が創ってると意識すれば悟りは救いどころか、かえって暗くならないのか。
知ったところでどうにかできるわけでもないのに。

そういう事柄に感謝すれば、そのような事が無くなるわけでもないのなら、
見ない、知らない方がいいのではないのでしょうか。



658:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)22:06:17.09ID:1msh7hUc[4/12回]


>>657
もちろん。あなたがそう思うのならばそうなのだろう。
ただ、コンゴやルワンダの事件で富を得た者がいる。彼らは幸福の絶頂だろう。
そして世界のおおくの人々が、それら諸国の事情を大して意識していない。
だがあなたは悲観的に認識している。だから悲観を感じるのだろう。ただそれだけのことだ。

さて本題に戻ろう。
人生は主観だ。完全な主観視点で進行する。
これは何を意味するのか。

あなたが右を向けば、右が見えるのだ。
つまり左側にいる人や物が、どれだけ存在をアピールしようが
あなたが右を向けば「見てもらうこと」ができないのだ。

すべての主導権はあなたにある。
あなたのその世界は完全にあなたのものなのだ。
だから何をやってもいい。犯罪をしても都合の良い考えを持ってもいい。
正義に生きても良い。

あなたの箱庭世界で、当たりやハズレ、正しい、悪いも、
幸福も不幸もあなたの箱庭世界に、ただあるだけなのだ。
だからどんなネガティブもポジティブも等しい。

すべて、あなたの生涯という箱庭の出来事であり、登場人物であり、
生涯を進めるためにサポートするだけのイベントなのである。
なぜなら、あなたの中ですべて起こっているからだ。

そして「あなた」という箱庭を感じている存在がいる。
箱庭自体を感じているのだ。手のひらの中を感じている存在がいる。
それが、前レスで書いた「あなた」だ。

一度体感してしまえば、当たり前すぎることなのだが
理解できているだろうか?


659:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)22:15:04.62ID:fQQxUUxn[2/5回]

私が腑に落ちないのは、右の景色が見たいと思って右を向けば右の景色を見ることが出来る。
だがどちらも見ず、前を向いて進もうとしても右に蚊が当たれば、触覚を感じ、
右をみて右の景色をみずにいられなくなるということ。
その時、自由意思はあったといえるのか



660:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)22:22:22.94ID:1msh7hUc[5/12回]

>>659
自由意思という、あなたの伝えたい言葉の意味はよくわからないが、
先に本題のオチを書けば、基本的に本来あなたが自分と思っている以外が自分である。

だから、日頃のあなたが「ああしたい」「こうしたい」と思っても
それは所詮、ある枠組みの中でしか作用できない。

だから蚊が当たるのだ。
あなたの意思でその蚊を生み出し、そしてそのタイミングで当てたのか?
あなたは、「蚊が当たった」という過ぎ去った記憶でしか認識はできない。

そして(これもオチになってしまうが)
右の景色を見るのは、日頃あなたが自覚している「自分」ではない。
すべては逆であり、実際は景色の方が動いている。
それはなぜか、あなたが「自分と思っている以外が自分」だからである。

あなたが現在、料理学校に通っていれば、
何かしらの料理への興味や切っ掛けがあったからだろう。
それらは、突如としてあなたの目の前に現れたはずだ。
そしてあなたは興味を持った。

つまりどんなスポーツ選手でも、その切っ掛けを与えられたから現在の道がある。
切っ掛けを与えたのは誰か。それは本来の自分である。


663:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)22:49:00.48ID:1msh7hUc[6/12回]

すべては概念である。
あなたの体験している世界のすべては概念だ。

マネーゲーム本に困惑している人は、概念という言葉の意味を辞書で調べた方が良いかもしれない。
釈迦やキリストが伝えたのも、つまりは概念についてである。
ホログラムも概念。

あなたがとても好きな異性に思いを寄せ、世界で一番好きと思っていても
それ以上に好きな異性ができれば、一番ではなくなる。
だが、その異性は何も変わっていない。
あなたの概念が変容しただけだ。

世界はすべて概念。貧しい国で殺される人間の子供がおれば悲しく思い
今夜のディナーのフィレステーキになった牛には思い持たない。

あなたの生涯という箱庭の中、それを体験しているあなたは概念を体験している。
すべてのものは、最初からそこにあるのに、概念によりポジティブネガティブを区別する。

すべてがあるのであれば、すべてから概念を外したらどうなるのか。
それがマネーゲームの脱出世界。
悟りの世界であり、極楽世界。
実際、その通り。

正しい考えなどない。なぜならあなたの世界の中のお話だから。
損も得もない。なぜなら、あなたの世界の中のお話だから。

超主観意識を持てば、いずれ超客観意識を「感じる」ことになる。
まずは、どれだけあなた独自の概念の世界を作り出しているか、それに気付くことである。

あなたが世界を創っている。
だが、あなたがそれを創ったわけではない。
あなた色の世界をあなたが創っているだけである。


664:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)22:56:49.11ID:1msh7hUc[7/12回]

幸せになりたければ、あなたの世界を幸せにしなさい。


665:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:00:31.01ID:n8FJqu23[3/5回]

全ては逆とかw
自分以外が自分とかw
表面的な理解でわかったつもりになるとこういう事になる。



668:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:06:01.74ID:1msh7hUc[9/12回]

責任も救いも、そして表面的な理解でわかったつもり?
というのも、すべて概念である。
明日違う考え方になれば、違う書き込みをしてるのだろう。

幻は捨て去りなさい。


666:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:02:51.87ID:fQQxUUxn[4/5回]

>>664 
だからそれです。あなたの世界を幸せにしなさいといわれても、
世界なんて大きく考えず、一家庭に視点をおいて考えても、家族は心持たないホログラムではなく
それぞれ意志や気持ちをもってるのですよ。落ち込んだら慰めるっていうマニュアルに従っても、
その家族の一員が放っておいてほしいと思っていたら、慰めるという行為は頓珍漢な行為。

幸せに出来ると思う事すら傲慢で虚しい考え。
ただ主観で自分のやれることはやったと自己満足するだけ。
そんな難しい段階ならば、ゲームに翻弄されている第一段階の方がまだ、救いがある気もする。
自分の気持ちに全て自己責任をおかなくてすむから。


670:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:20:16.00ID:fQQxUUxn[5/5回]

同一人物でも違う人でも、それはあんまり関係ないので、それはいいですが
違う人なら違う人で、やはり誤解は受けたくないと反応してしまうでしょう。
だから悟りとしての脱出など人間として生まれていたら非常に困難な道ではないかと思った次第です。
だけども御教授、ありがとうございました。



671:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:23:16.27ID:1msh7hUc[11/12回]

よろしい。それで良い。

最後にひとつ伝えておくよ。
気休めでもなく、単に本などの知識からでもなく、
あなたが今、そこにいるということは、過去のあなたからすれば奇跡なのだ。

どうやってそこにいるの?過去(当時)のあなたはそう聞きたいはずだ。
だけどもあなたは、いまそこにいる。つまりこの先も何が在ろうと、大丈夫なのだよ


672:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:27:38.13ID:n8FJqu23[4/5回]

過去や未来なんて幻想の最たるもの。
君の話は二元論すら超えてないのに悟ったつもりなの?



673:名無しさん投稿日:2013/06/12(水)23:31:06.69ID:1msh7hUc[12/12回]

キリストも説明する際に、言葉として未来とか過去とか言うだろう。
それらの言葉をなくして、文字の世界で伝えることはできない。
二元論にこだわるのはあなたの自由だが、二元論があるからこそ、世界なのだよ。

悟ってるも悟ってないも、すべてを包括しているのが、己の世界。
そこには正しいも間違いもない。それらがただ、存在しているだけ。
そのバケツのような器が自己である。


703:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:15:13.72ID:gF9MI9z/[1/19回]

今夜は登場が遅れてしまった。
んー、スレッドを眺めていると理解の度合いで人それぞれという感じだね。

とりあえず「答え」を求めようとしても見えない仕組みになっている。
そして私は「答え」を一切述べていない。

それを前提に過去のレスを読んでほしい。
たぶんこの意味も理解の度合いで表にも裏にもなる。
表にも裏にもなる。これはヒントである。

なぜならすべてが、‥つまり、あなたが「そう」思えば「そう」なるのだ。
だから答えは常に変容する。だから答えなどないのだ。
完全に無意識な状態で暮らしている人にもわかりやすく伝えるとするならば
(無意識とは、感情と思考、将来の予定、計画がすべてであると信じている状態)

あなたが最期を迎えるとき、ああ、私の人生はこうだった、と間違いなく言えるだろう。
それが「究極」なのである。

ああ、私の人生はこうだった、と言えるから、すべては見守られていたんだと「気付く」のだ。


704:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:18:55.80ID:gF9MI9z/[2/19回]

つまりだ、
「ああ、私の人生はこうだった、と言えるから、すべては見守られていた」
これを逆手に追っていけば、あなたが常に幸せに包まれ最高の状態に在ることがわかるだろう。
わかりたければ、もっと自分の体を意識して生活をしなさい。

わかりたくなければ、特にこういう精神世界に足を突っ込む必要も無い。
突っ込まなくても、あなたは常に幸福であることを、私は知っているからだ。


705:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:25:23.86ID:gF9MI9z/[3/19回]

今日のあなたは、昨日のあなたをクリアしている。
昨日どれだけ悩んでいても、今日というあなたが必ず訪れているだろう。
これは何を意味するのか、つまり昨日も今日もないのである。
すべては一括りの状態で、ただ存在がある。

今日のあなたが昨日のあなたを観るとき、すべてを包括した視点で捉えるだろう。
だけでも昨日のあなたはそれができないと思い込んでいる。
その思い込んでいる状態が、マネゲ本でいうところの第一段階だ。
明日は必ず来るし、明日の自分は昨日の自分を「知っている」だろう。

それを根本から感じたときに、「あれ?昨日も今日もないじゃん」という境地に行き着く。
結局のところ、"すべて"がそもそも在ったんだと気付くのである。


706:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:29:57.14ID:gF9MI9z/[4/19回]

すべてがそもそもあるのに、不安や悩みを持つ必要がどこにある?
夢や希望を持つ必要がどこにある?

ただ流れに身を任せておれば、ただ単純に「あなた自身」を感じることができる。
エゴ的な視点では、良いことも悪いこともあるだろう。
だが、必ず「ある場所」へ行き着くようになっているのだ。
だから日頃の幻(概念)に振り回される必要は一切ない。

街を歩いていてケンカを売られようとも
得する話にうまく乗れなくても、
思いを寄せている異性が振り向かなくても、
すべてを失っても、
どうでもいいのだ。

正義の心で生きてみても、
欲求のままに他者を無視して生き続けても、
どうでもいいのだ。

それこそが、あなたの人生なのだから。


707:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:32:49.74ID:gF9MI9z/[5/19回]

結局は、全部大丈夫なんだよ。それはいずれ自分自身が「悟る」ことなる。

いまいち理解ができなかった人も、これが当たり前なのがわかるだろう?
あなたが今そこにいるわけだから。


708:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:41:49.43ID:gF9MI9z/[6/19回]

般若心経では「無無明~」のあたりかな、
その通りで、うまいやり方、ナイスな人生を送るコツなんてないのだ。
どのようにあろうが、それが人生なのだ。つまりすべてが正解なのである。

私の話も、釈迦の話も、私の話が理解できない人も、すべてが正解なのである。

つまり、それこそが人生!なのだよ。
おめでとう。


709:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:51:57.04ID:gF9MI9z/[7/19回]

コンビニのおにぎりの話も、水道から水を飲む話も良い話だ。
数ある、スピリチュアル本、キリストや仏陀の教えも素晴らしい。

それらについて、苦しみを打破できる「何か」があると誰もが思う。
確かに打破できる。だが、実はごく当たり前のことに気付くだけなんだよ。

あなたがコンビニ行っておにぎりを買った。
そして今食べているとする。
スピリチュアル的に言えば、あなたはおにぎりを生み出しているのだ。

だが、当たり前の視点で言えば、おにぎりを買いにいっただけのことなのである。
ただそれだけのことだ。
それを二千五百年、語り継がれている。

ああ、また勘違いをされても困るから書いておくが、
「買いにいった」が重要ではなく、
あなたがおにぎりを手にしていたにしろ、手にしていないにしろ
それがあなたの人生だったことをいずれ「知る」だろう。
だから「おにぎり」について悩む必要はない、ということだ。


710:名無しさん投稿日:2013/06/14(金)00:56:50.07ID:gF9MI9z/[8/19回]

好きなように生きなさい。全部正解だから。