2017年5月19日金曜日

自分さん05 今を感じるということは、つまり「あなた」自身を感じるということだ。

778:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:08:14.03ID:i39o/+9a[1/3回]

>>773
だってお金大好きだもん。
だから内容よりお金に目が行くの当然だもん。
けど内容にふか~~く目がいけば沢山のお金とるのに疑問もわくもん。



779:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:12:19.60ID:rEcgG32Q[3/20回]

>>778
では、マネゲ本がこの世のなければ、いまのあなたは疑問に苦しむこともなかったのだろう。
そしてその苦しみと一緒にある「読んで得られた楽しさ」もなかったのだろう。

あなたにとって、世界のすべてが胡散臭いのだろう。
ではすべてを手放してはどうか。

上でも書いたが、金持ちになりたければ、あきらめたら良い。
その意味を後で教えてあげよう。


780:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:16:30.00ID:i39o/+9a[2/3回]

違うよん。お金が欲しいはエゴだもん。
だから本にも自分のエゴが投影されるから
金儲けに腹立つの当たり前だもん。

それ自覚してそこ超えたら、否定や怒りじゃなく
大金とることに疑問を覚えるようになる時もあるんだもん。



781:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:20:17.10ID:rEcgG32Q[4/20回]

>>780
ほお。あなたは面白い。
そういう包括した視線が「すべて」なのかもしれないな。
またひとつ勉強になりました。


782:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:23:52.47ID:OhOoMkTm[1/6回]

観念がなくなっても存在が消えるわけじゃない。

生まれた時から観念はあったか?
観念は経験による記憶によって作られるものだ。
だから記憶と予測という想像なしで存在を認識する必要がある。
そして過去の記憶や将来なりたい自分ではなく純粋な存在としての自分が残る。

キリストの言った「汝、幼子のようにならなければ天の国に入る事はできない」とはそういう意味だ。


784:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:30:18.68ID:rEcgG32Q[5/20回]

>>782
私の過去のレスを読んでいなかったら申し訳ないのだが、
あなたが書いていることは、私がこれまで書いていることをなぞっている。

つまりあなたの疑問は、私がいま現在抱えている疑問と同じである。
では現実問題、すべての概念を捨ててしまったら「無」しかありえない。
「それら」を感じることがすべてになってしまう。

それは完全に脳死状態(私はそう例えるしかできない)である。
あなたのいう「純粋な存在としての自分」とは、私はそのように達観する。

キリストのその話はわたしも好きだ。あなたのいう通りである。
だが、それは「心から本当に求めたいのか」と問われれば私はまだ幻想にいたい。


785:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:37:52.05ID:OhOoMkTm[2/6回]

>>784
幻想の中で戯れていたいならそれでいい。
だが悟りとは幻想を超えて実在を見出し、そこに溶け込む事にある。
幻想の中にいる限り、どうあがいても「悟り」とは程遠いんだよ。
幻想という夢から覚めて初めて覚醒と呼べるのさ。



786:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:42:05.26ID:rEcgG32Q[6/20回]

>>785
その意見に対しては反論がある。
そもそもこうして、2ちゃんねるなるものに書き込みをしている時点で幻想の世界だ。
つまり幻想の世界にいなければ、何も表現できない。
つまりあなたの言う「悟り」は決して表現できないものだろう。
それは私も理解している。

では、この人生の中で悟りを表現することは不可能か?

それは違うとも言える。
なぜならば、「悟り」という概念自体が「単なる私の生涯の中の、単なる存在」であるからだ。
そう理解すれば、幻想こそが悟りとも言える。
自ら作り上げた概念こそが悟りの境地とも言える。

よって答えはないのだ。
ただ私の疑問は、なぜ私は私なのか、ただそれだけだ。


787:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:51:25.36ID:OhOoMkTm[3/6回]

>>786
なぜ私は私なのか?
そこに意味を求める事が既に幻想だ。
物事に意味を求める以上、答えは幻想だよ。
存在に意味は必要ないんだ。

悟りが幻想だというならそれでいいさ。
でも今の君には辿り着けない場所がある。
それも幻想だと思うかもしれないけどね。



788:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:53:56.26ID:rEcgG32Q[7/20回]

あなたは単に私の話をなぞっているだけだ。
私は何も求めていないし、大して疑問にも感じていない。
少しテストをしてみただけだ。

だけども、あなたは私である。感謝をしている。


789:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)00:56:22.93ID:rEcgG32Q[8/20回]

ちなみに、私はあなたである。それはあなたが一番よくわかっているだろう


790:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:00:05.53ID:OhOoMkTm[4/6回]

>>789
幻想の中でそれを言っても妄想でしかない。



791:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:03:33.37ID:rEcgG32Q[9/20回]

その通り、つまり「幻想」こそが「悟り」なのだ。
そして「幻想」こそが「悟り」ではないのだよ。


792:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:04:49.82ID:rEcgG32Q[10/20回]

このすべてがすべてである。


795:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)01:13:13.19ID:rEcgG32Q[11/20回]

よろしい。
では先に書いた「金持ちになるには、あきらめろ」を伝えよう。

まず、なぜ金持ちになりたいかを突き詰めなさい。
それは「安心」に行き着くだろう。つまり安心が欲しいのだ。

では安心とは何か。概念である。
概念である以上「求める苦しみ」が発生する。

金持ちになりたい、と思うから求めて苦しいのだ。
あきらめるとは、それを意識しなくなる、ということである。
つまり、それ自体に概念を与えないということだ。

金持ちになりたい=安心したい=概念

その概念を放棄することにより、苦しまなくなる。
つまり、安楽が訪れる。


金持ちになりたい、そうすれば安心だ。
ということが、金持ちになりたい意識を捨て去ることにより
安心を得られるという矛盾。

しかし矛盾ではない。それがマネーゲームの脱出である。


824:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:34:33.60ID:rEcgG32Q[12/20回]

さて今日のテーマは「いまに在る」だ。
私は瞑想を日課にしている。私に相性が良いのは歩行しながら瞑想する歩行禅である。
もう癖みたいなもので、何をしていても「今に在る」ことを忘れていない。

昨夜頂いたレスの中で気になるものがあったんだが、
完全な概念崩壊は可能である。つまり熟睡状態や、死である。

だが「完全な概念崩壊がすべてであり、それ以外はまやかし」という意見については賛同できない。
日頃の瞑想をしている人は理解できると思うが、「自我」と「今に在る」は割合というか、バランスがある。
ある程度瞑想に慣れてくると「いま、自我と「それ」は半々ぐらいだな」みたいなことが概念の上で認識できる。
もちろん概念を完全放棄している状態だと、認識どころか歩くことも「表現できない」。

基本的に「いまに在る」というのは、ただ今起こっているすべてを「感じる」ということだ。
肌に触れる風、気温、周囲から聞こえる音、視界に飛び込む光。
それらを「思考を介してレッテルを貼ることなく」ただ、感じるということだ。

「思考を止めなきゃ」とやり方を間違えている人もいるが、
思考を止めるという行為が思考によるものなのでそれは不可能だ。
だけども、今に至りながら、それを認識するという「自我」を両立させることは可能である。
慣れればね。

瞑想についてだが単に五感のどれかを感じていれば簡単に思考は止まる。
だが思考が止まっているということ「思考」すれば元に戻る。

例えば目に意識を持っていく。
目の細胞を意識してもいいし、単に目の周囲の筋肉を硬直させてもいい。
その状態で視界を「感じる」と、いつの間にか思考は止まっている。
だが止まっていると認識すれば、瞬く間に自我の世界に戻る。
そして、また五感のどれかに集中し「今」に入る。

感じるという行為は、思考を完全に静まらせてくれる。
簡単なことだ。今を感じる、それは完全なリラックスを意味する。
私は瞑想に出会うまで、思考によるリラックスを行っていた。
つまり「考えている間、休まる」である。

だがいまは、本当の意味のリラックスを得ることができている。
思考からも体からも完全な自由を得て、さらに時間からも解放されている。

さて、では「今に在れば」一体なんなのか、それを今夜は伝えていこうか。


825:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:45:16.86ID:rEcgG32Q[13/20回]

まず理解しなければいけないのは、あなたが「今」見ている風景や
「今」聞こえている音、「今」感じている温度などは、すべて過ぎ去った記憶である。
だから「今」自体も実は本当の意味での「今」ではない。
感じる時点で、記憶を読んでいるだけなのだ。
これが何を意味するのか。

あなたは記憶でできているのだ。
つまり、記憶がなければすべてを認識することができない。
記憶こそが概念であり、五感であり、幻である。

ではここでひとつの疑問にぶち当たる。

記憶があるということは、その行為があったわけだ。
物を見たから、「見た」という記憶があり、見えたものを後々になってあなたは「知る」。

では「その行為」をしているのは一体誰なのか?
この答えをいまから書くが、いちいち表面だけの反論はせずに一旦じっくり考えてほしい。
私からのお願いだ。








我々が認識できる範囲、つまり概念の上での説明でしか伝えることができないが
その行為をしているのは、なんと自分である。

でもおかしい。
記憶でしかすべてを認識できない自分が、どういう意識でその行為を行っているのか?
いや、その質問は間違いだ。
正しくは、「どういう意識でその行為を"行っていた"」である。

行っていたのである。
誰が?
自分が。
まるで他人ごとのようだ。 

続く~


826:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:52:14.74ID:rEcgG32Q[14/20回]

行為を行っていた。自分が。認識した時点ですでに結果である。

あなたが体験する日々の出来事は「起こっている」。
それら起こっている出来事は、実はあなたが起こしているのだ。
ここでいうあなたとは、マネゲ本でいうところの「本来のあなた」というやつだ。
だけども「本来のあなた」とか「大いなる意識」とかいうのは、単に自分のことだ。

あなたが、自分と思っているのは単に概念の重なりであることは以前にも書いた。
あなたの正体は「あなた以外のすべて」である。

出来事は起こる。
起こる出来事に、あなたは体験する。
体験した記憶で、あなたは「体験したのだ」と認識する。

じゃあ、体験したのは誰か。
答えは、出来事だ。もっと突き詰めれば「出来事が起こる」の「起こる」が答えだ。
つまり「起こる」こそが、あなただ。オカルトではない。
よく考えてみれば‥つまり思考でもここに行き着くだろう。

イチローが幼少の野球と出会い、いまの彼があるわけだが、
幼少にサッカーと出会っていたら、いまはサッカー選手なのかもしれない。
イチローがイチローではない。
野球と出会わせた「出会いという出来事」がイチローなのである。


827:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)21:57:51.37ID:rEcgG32Q[15/20回]

まあ現在の自分に置き換えて考えてみれば理解はしやすいだろう。

あなたが今、サラリーマンだとする。
あなたはサラリーマンだ。毎日電車に揺られて出社する。
そういう光景を毎日見ているだろう。

あなたは、あなたを見ているのだ。
つまり、あなたが感じている「すべて」こそがあなたである。


さて「今に在る」に話を戻そう。
今に在るとは、リラックスしている状態だ。
リラックスとは、平安である。不安も悩みもない。今にあるから、未来や過去に振り回されない。
ただ、「いま感じていることがすべて」の境地である。

その「感じているすべて」が自分であったことは容易に気付くだろう。
つまり無限なのだ。


828:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:06:36.99ID:rEcgG32Q[16/20回]

生活の中で、みんなそれぞれ悩みや不安があるだろう。
悩みや不安があなたである。

あなたは「あなたの作り出した」いや、あなた自体である
「悩みや不安」の中でしか生活を送ることができない。
いわば水槽の中の魚である。水槽が、本来のあなただ。

だが水槽は単なる定義である。
いくらでも大きくもできるし、豪華な水槽にもできる。
ただし、「大きい」も「豪華」も概念だ。

‥さて、私が何を言いたいのかわかるかな。

あなたは常に幸福なのである。
貧乏でも辛い現状があっても良いのだよ。
あなたの人生はなんでもいいのだ。それを理解しなさい。


830:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:11:56.98ID:rEcgG32Q[17/20回]

あなたは、あなたが見ている世界でしか生きられない。
なぜならば、その世界があなただからだ。
世界があなたということは、常に守られているのだ。

魚は水を知らない。常に水の中にいるからだ。
生まれたときから今に至るまで、ずっと水の中にいるから水を認識できない。
知ることができないのだ。

だが魚が水から飛び出したとき、水の存在を知る。

ずっと知らないものに守られていたと気付く。
そして「水」があったから自分があったと理解する。
「水」が自分だったと悟るのだ。


833:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:16:30.06ID:G7dCdKeJ[5/8回]

>>830 
表面的理解で周りの人が何も解っていないと思ってしまうのは何故?
自分だけの世界があり他人はいないに気付いた後、陥りやすい間違いもある。



835:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:20:37.08ID:rEcgG32Q[18/20回]

>>833
そういう世界にあなたは生きているのだろう。

他人は存在するよ。
だが、あなたの概念を通したカラーで、その他人を観ていることになる。

マネーゲーム本の中で、他人のそれぞれの世界がどう成り立っているか、
それは作家が「作家は嘘つき」‥みたいな感じてで書いていたが、
彼はそのあたりについては理解していないようだ。
というか、どう説明していいかわからなかったのかな?

全部、存在してるんだよ。
ただ、概念を通してしか、己は他を認識しないだけ。


836:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:23:59.67ID:rEcgG32Q[19/20回]

今を感じるということは、つまり「あなた」自身を感じるということだ。

あなたは、現在の状況の中にいる。
つまり状況があなたを作っている。
よって、状況こそがあなたなのである。


837:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:24:22.51ID:G7dCdKeJ[7/8回]

>>それは作家が「作家は嘘つき」‥みたいな感じてで書いていた

時期がきてなかったんじゃないですか?
もしくはイチローがサッカーに出会わなかったように出会う必要がなかったか。



838:名無しさん投稿日:2013/06/15(土)22:25:58.45ID:rEcgG32Q[20/20回]

なるほど、その通りだな。
彼にとって、その認識は世界に必要なかったのか。

また勉強になりました。ありがとう。


3 件のコメント:

  1. 自分さんて悟りたい人なのかしら?
    何で悟りたいの?
    何で思考に思考でこねくり回してるのかしら?
    本質からどんどん遠ざかるだけなのに?
    悟りに興味ないけど変な悟りキャラしてる人って多いね
    本当に本質わかった人って言葉に頼らない感じ
    本質を的確に表現するというか・・・
    何となくわかってない人の文章ってわかっちゃう
    何となくわかってる人の文章ってわかっちゃう
    それだけ何となく感じるわ

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    1. そんなん本人に直接言えや。ここに書くな

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