2017年11月11日土曜日

自分さん20 今していることを完全に受け入れなさい。流れが勝手に起こり、勝手に展開していくから。

748:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

街を歩けば様々な物が目に飛び込むだろう。それらはあなたの認識だ。
様々な音も聞こえるだろう。それらもあなたの認識だ。

あなたの認識で埋め尽くされているのが、あなたの世界だ。
あなたが何かに焦点をあてて考え事をする。
そういったことも、あなたの認識だ。あなたの世界だけに生まれた独創的な創造物である。

常に、自らの「認識」に包まれていることを意識しなさい。
それは毒にもなり、快楽にもなる。
だがすべては幻である。囚われてはいけない。

囚われないとは、あくまで「単にそれがあるだけ」という距離感を保つということだ。
客観的な視点で物事を見る。決して同一化しない。

すべてを「言葉」に置き換えて観ない。
我々は、郵便ポストが目に飛び込めば「郵便ポスト」という言葉で認識する癖がある。
だが、それは「郵便ポスト」ではない。そのように教え込まれただけで、
それ自体は単なる物体だ。物体すらも言葉を与えなければ存在できない。
そうなれば、モワっとした波動のようなものとして感じることができるようになる。

すべてを感じよ。
言葉を捨てよ。

感じる、とは「今」しかできない。
つまり、感じている状態とは「今にある」のだ。

肌に触れる気温を感じ、足にかかる重力を感じなさい。
感じている間、言葉を捨てている間、あなたは今にある。


750:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

あなたが持病に悩んでいたとする。
だが、同じ持病を持つ誰かはそれを屁とも思っていなかったりする。

経済的な問題も同じだ。
それはどういうことか?同じ対象に対して認識が違うのだ。
それが世界だ。生だ。そして「あなた」という世界観だ。

ダンサーインザダークという映画があるが、あれをブラックコメディと捉える人は
始終大笑いしているだろう。彼なりの世界観があるのだ。

価値観というチープな表現に収まってしまっているが
個々の世界観は、その人の生きる世界そのものである。

そして誰にも等しく「今」がある。
今夜は「今」について語ろうか。


754:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

乳母車を幸せそうに押して歩いている奇麗な若い奥さんがいる。
去年までOLだった。OL時代は日々与えられた業務をこなし、休日は同僚と海外旅行、
コンパやおしゃれに勤しみ、それは充実した毎日だった。

さらに遡ること数年、彼女は女子大生だった。
大学時代はたくさんの出会いに恵まれ、車を持っている彼氏に連れられ
たくさんの場所を訪問した。訪れたすべての場所が思い出である。

美容にもダンスにもヨガにもどっぷり漬かり、アルバイトしながら自分を磨く日々。
友人たちが持ってくる常に新しい世界の扉にワクワクしながらの毎日。

そしてまた時計は戻る。女子高生時代だ。
JKな彼女は当時の流行に遅れることなく、ギャル路線。
文化祭の出し物で毎日遅くまで練習しクラスメイトと盛り上がったパラパラダンス。
バンドに誘われギターを担いで練習に明け暮れた日々。
みんなの進路の相談に乗ったり乗られたり、毎日が笑顔であふれた生活だった。

さらに中学生、小学生、と遡る。クラブ活動、運動会、テスト、塾。
彼女はいつも今を生きていた。先のことに悩んだり、不安を持ったりしないのだ。
先のことを考えだせば、そりゃネガティブに包まれるだろう、
だが彼女はそれを知っていた。
だから常に「今しかない」と生きていたのだ。今を感じていた。

肌に触れる空気、温度、自分を中心に流れ来る街の音、ただ観ている視界。
そのように、あるがままに生きているのだ。彼女には「今」しかない。
いつも今しかないのだ。それがあればいいのだ。

誰かにとっては重みのない人生と言われるのだろうが、
彼女にとっては、ただ「今」を目撃してきただけの人生であり
それはこれからも続く。

さて、これは私がツラツラと妄想で書いた実在しないフィクションであるが
一般的にはこういう彼女のような方は幸福な人生である。
あなたもフィクションを書いてみると良い、どういう人がどういう人生ならば
幸福なのか、必ず「今を生きている」にたどり着くだろう。単純な話である。

だが大切な部分はそこではない。
仮にこの「彼女」が高校時代に何かに悩んでいたとしても、
乳母車を押している今からすれば、宝石のような思い出なのだ。

あなたも存分に人生を味わい尽くしなさい。
蝶は10日ほどしか地上で生きられないが
「今」を感じている彼らにとって、それは永遠である。
蝶の生に制限を感じているのは他者である。


755:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

つまりくだらないのは、今月の支払いどうしようか、とか、
明日仕事嫌だな、とか、
ありもしない世界を延々と作り出して
自ら苦しんでいることである。マゾヒズムである。

今が最高ならばそれでよい。
今を常に最高にしなさい。あなたの人生はカラフルに花開くだろう。


758:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

今が良ければ、それでいいのだ。
今だ。
いま、
本当にいまだ。

いまいまいま。

あなたは何をしてる?
今に入り込みなさい。

今していることを完全に受け入れなさい。
それだけがすべてだ。

それだけでいい。それだけのために、あなたは生まれてきたのだ。
先のことなんて、さもや1分先のことすら考えなくていい。
「流れ」が勝手に起こり、勝手に展開していくから。

だから今に在りなさい。
今と感じているから、コンマ遅れて今とか、そんなものはどうでもいい。
あなたが「今」と思っていれば今だ。

いま。
これがすべてだ。

蝶の生は永遠だ。
彼らは常に今を感じているから。


761:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

ただ、今を「最高」にしなさい。
それが至福の生へのチケットである。


763:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/16(火)NY:AN:NY.ANID:JO+jxBx8

焦りは「今」を受け入れていないから起こる。

現実逃避と悟りの違いは何か?と上で書かれていたが、
現実逃避と悟りの違いは何か?が答えである。
つまりどうでも良いことだ。答えなどない。

なぜ「あなたのしっくりくる答え」を探し求めるのか。
それがそもそも間違っている。

あなたの世界に浮かんでいる出来事、事象のすべてはリアルだ。
間違いなどない、すべて正しいのだ。
なぜならばあなたの認識しかないからだ。

自ら生んだ「素敵な創造物」に囚われないように
「いま」を感じていなさい。

感じるのだ。最高に感じるのだ。ロックンロールでありなさい。
ラジニーシ風ならば、常に強烈でありなさい。


765:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/17(水)NY:AN:NY.ANID:U3KCf8LM

体から滲み出るほど強烈に今に在りなさい。
自らの頭部をブチ抜き、頭なし、つまり首から下だけで生きなさい。
思考は制限を与えるしかない。

エックハルトトールは思考は社会生活には必要であると書いているが
私はそうは思わない。ここが日本だからかもしれない。
思考など、無駄無駄無駄!

ただ在りなさい。日本の社会では、その方が縦横無尽に生きられる。
腐った死体や、ゾンビのように、思考の止まった体から
生々しいニオイが感じられたら良い兆候だ。
風呂に入るなと言っているわけではない。

今を感じ続ければ、肉のニオイを「感じる」のだ。自らの体からね。
強烈に今にありなさい。それだけでいい。


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